11月「鎮魂論(笑)」
先月はどこか暗鬱とした気分で体調がよくありませんでした。
今年は雨の多い秋で つまり日照不足。野菜に影響が出ているのは周知されとりますです。なんせキャベツがバカ高いですから(苦笑)びんぼーにんの味方は相変わらずもやしですね~。
霜月に入り空気が冷え込んで少し頭がしゃっきりしたような・・・気がします。
そんな中たまたまyoutubeで薪能の挑戦と題する動画を見ました。照明に色を使ったり舞台を能舞台以外で行ったりと能も現代化をはかってるんですね。かつて演劇論の外人教授が「能には演劇のすべてが含まれている。現代にも続いている最古の仮面劇」と言ってました。古さから言えば紀元前ギリシャの仮面劇が一番古いのでしょうが現代にその本体が続いていませんもんね。最近復活したらしいですが古代の形ではないし。ある国は「元はわが国のものだ」と言っているそうですが仮にそうだとしても(間違いなく違うと思いますが)もはや其の国に残ってないことは間違いない。なにせ日本の場合 室町時代の面をいまだに使用してる劇ですからねえ。思えば「万葉集」をその国の言語で読める(つまりその国の言葉で書かれてる)とか公言されてるらしいですが、ムリあり過ぎだと思うのです。だってあれは日本語に漢字を当て字した「万葉仮名」で書かれてるんですから。つまり「よろしく」を「世露死苦」と書いているものなんです。それを他の国の言語で読めるとは・・・よくよくですねえ。何か知らない理論があるのかかしらん?
「能」も時代によってもちろん変化していますが(猿楽から能と呼ばれるようになったり)その本質は多分、室町時代あたりから変わってないと思います。世阿弥の「風姿花伝」は偉大なんですね~。「序破急」も日本文学の伝統です。
現代化したとしてもその演目と内容はやっぱり伝統的なもの。やっていたのは「船弁慶」でしたが本質は変わりませんでした。実は能の演目の大部分には「怨霊」がでてくるんですよねえ。「船弁慶」の後段には平知盛の怨霊が現れます。「巴」なんて「巴御前」の怨霊がシテ(主役)ですもんね。あんまり詳しくないんですが個人的に知ってるなかで怨霊がでないのは「安宅」(勧進帳)くらいしか知りません。
つまり「能」というのは「鎮魂劇」ということなのでしょうか。「怨霊を鎮魂する」のが目的なのでしょうか。鎌倉後期から室町くらいから寺社で演じられるようになったからそうなったんでしょうか。それともそれ以前から鎮魂を目的としていたのでしょうか。
思えば室町時代の代表文学「太平記」。後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕、新政をする物語。忠臣 楠正成。だけど足利尊氏の室町幕府設立によって楠正成は戦死。後醍醐天皇は奈良の吉野の地に逃れ、失意の末に崩御します。前半はまさに歴史物語であり戦記物なのですが後半はガラッと変わります。崩御した後醍醐天皇と戦死した楠正成が大怨霊となって復活し大暴れするファンタジー物語になってるんですよね。日本一の大魔王である祟徳上皇が金色の鳶となって現れ、後醍醐天皇や楠正成、その他の霊が会合してどうやって日本に乱を起こすか相談をする。民俗学者谷川健一は「魔の系譜」の中で「ここに怨霊の誕生を我々は見る」と書いています。つまり太平記も鎮魂の物語なのだと言っています。失意の内に死んだ者が怨霊になって暴れる話を描き、気持ちよくなってもらおうと。物語の中で暴れてもらって「現実には現れないように」と・・・。
以前書いた早良親王を恐れて京(平安京)を作った桓武天皇をはじめ、やっぱ日本は怨霊の国なんですね。一番最初に読んだこの手の本は20年前の小松和彦「鬼が作った国 日本」でした。日本は鎮魂の国、霊が神の国なんです。それ以来 怨霊が大好きになりました・・・怖いですけど(苦笑)
今年は雨の多い秋で つまり日照不足。野菜に影響が出ているのは周知されとりますです。なんせキャベツがバカ高いですから(苦笑)びんぼーにんの味方は相変わらずもやしですね~。
霜月に入り空気が冷え込んで少し頭がしゃっきりしたような・・・気がします。
そんな中たまたまyoutubeで薪能の挑戦と題する動画を見ました。照明に色を使ったり舞台を能舞台以外で行ったりと能も現代化をはかってるんですね。かつて演劇論の外人教授が「能には演劇のすべてが含まれている。現代にも続いている最古の仮面劇」と言ってました。古さから言えば紀元前ギリシャの仮面劇が一番古いのでしょうが現代にその本体が続いていませんもんね。最近復活したらしいですが古代の形ではないし。ある国は「元はわが国のものだ」と言っているそうですが仮にそうだとしても(間違いなく違うと思いますが)もはや其の国に残ってないことは間違いない。なにせ日本の場合 室町時代の面をいまだに使用してる劇ですからねえ。思えば「万葉集」をその国の言語で読める(つまりその国の言葉で書かれてる)とか公言されてるらしいですが、ムリあり過ぎだと思うのです。だってあれは日本語に漢字を当て字した「万葉仮名」で書かれてるんですから。つまり「よろしく」を「世露死苦」と書いているものなんです。それを他の国の言語で読めるとは・・・よくよくですねえ。何か知らない理論があるのかかしらん?
「能」も時代によってもちろん変化していますが(猿楽から能と呼ばれるようになったり)その本質は多分、室町時代あたりから変わってないと思います。世阿弥の「風姿花伝」は偉大なんですね~。「序破急」も日本文学の伝統です。
現代化したとしてもその演目と内容はやっぱり伝統的なもの。やっていたのは「船弁慶」でしたが本質は変わりませんでした。実は能の演目の大部分には「怨霊」がでてくるんですよねえ。「船弁慶」の後段には平知盛の怨霊が現れます。「巴」なんて「巴御前」の怨霊がシテ(主役)ですもんね。あんまり詳しくないんですが個人的に知ってるなかで怨霊がでないのは「安宅」(勧進帳)くらいしか知りません。
つまり「能」というのは「鎮魂劇」ということなのでしょうか。「怨霊を鎮魂する」のが目的なのでしょうか。鎌倉後期から室町くらいから寺社で演じられるようになったからそうなったんでしょうか。それともそれ以前から鎮魂を目的としていたのでしょうか。
思えば室町時代の代表文学「太平記」。後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕、新政をする物語。忠臣 楠正成。だけど足利尊氏の室町幕府設立によって楠正成は戦死。後醍醐天皇は奈良の吉野の地に逃れ、失意の末に崩御します。前半はまさに歴史物語であり戦記物なのですが後半はガラッと変わります。崩御した後醍醐天皇と戦死した楠正成が大怨霊となって復活し大暴れするファンタジー物語になってるんですよね。日本一の大魔王である祟徳上皇が金色の鳶となって現れ、後醍醐天皇や楠正成、その他の霊が会合してどうやって日本に乱を起こすか相談をする。民俗学者谷川健一は「魔の系譜」の中で「ここに怨霊の誕生を我々は見る」と書いています。つまり太平記も鎮魂の物語なのだと言っています。失意の内に死んだ者が怨霊になって暴れる話を描き、気持ちよくなってもらおうと。物語の中で暴れてもらって「現実には現れないように」と・・・。
以前書いた早良親王を恐れて京(平安京)を作った桓武天皇をはじめ、やっぱ日本は怨霊の国なんですね。一番最初に読んだこの手の本は20年前の小松和彦「鬼が作った国 日本」でした。日本は鎮魂の国、霊が神の国なんです。それ以来 怨霊が大好きになりました・・・怖いですけど(苦笑)