8月6日といえば
8月6日といえば広島原爆 世界初の「核兵器」が使用された日。
自分の祖父は当時徴兵されて広島にいました。祖父の話によると船に乗り出航した直後に広島市の方向で大きな光が走り轟音が鳴り響いたそうです。急遽反転、市内に救助に入ると地獄の有様。そこで祖父は部隊の一員として救助活動にあたりました。その時の話を酔った折に聞きましたが壮絶だったそうです。「被爆者に水を与えるすぐと死んでしまうから与えるな」と聞かされていてその為「喉が渇いた」という被爆少女に水を与えなかった事をいつまでもいつまでも後悔していたんですよね。
そんな祖父ですが一貫して天皇陛下に敬意を持っていました。自宅には東郷平八郎連合艦隊司令長官の書が飾ってありましたしね。でも徴兵で兵隊になったので根はまったく軍人ではありません。そもそも徴兵されたときは問屋を経営していてバリバリの商人でした。(実家は庄屋の家系で元は武士とか聞きましたが定かでありません)そして祖父は白血病で亡くなりました。が、これがいわゆる「二次被曝」が原因なのかはわかりません。祖父は生涯積極的に被曝を表に出しませんでしたから。祖母が色々調べたりしたのですがそれは「被曝とわかれば手厚い供養ができるから」という理由からです。そんな祖母も「東京大空襲」の被災者です。燃える下町の当時は小工業地帯から命からがら逃げたそうでその時の悲惨な話も聞きました。が、祖母もやっぱり尊皇主義。そんな祖母も亡くなって久しくなりました。
ちょっとしんみり・・・。夏には時々こういう気分になる日があるんですよね。
自分の祖父は当時徴兵されて広島にいました。祖父の話によると船に乗り出航した直後に広島市の方向で大きな光が走り轟音が鳴り響いたそうです。急遽反転、市内に救助に入ると地獄の有様。そこで祖父は部隊の一員として救助活動にあたりました。その時の話を酔った折に聞きましたが壮絶だったそうです。「被爆者に水を与えるすぐと死んでしまうから与えるな」と聞かされていてその為「喉が渇いた」という被爆少女に水を与えなかった事をいつまでもいつまでも後悔していたんですよね。
そんな祖父ですが一貫して天皇陛下に敬意を持っていました。自宅には東郷平八郎連合艦隊司令長官の書が飾ってありましたしね。でも徴兵で兵隊になったので根はまったく軍人ではありません。そもそも徴兵されたときは問屋を経営していてバリバリの商人でした。(実家は庄屋の家系で元は武士とか聞きましたが定かでありません)そして祖父は白血病で亡くなりました。が、これがいわゆる「二次被曝」が原因なのかはわかりません。祖父は生涯積極的に被曝を表に出しませんでしたから。祖母が色々調べたりしたのですがそれは「被曝とわかれば手厚い供養ができるから」という理由からです。そんな祖母も「東京大空襲」の被災者です。燃える下町の当時は小工業地帯から命からがら逃げたそうでその時の悲惨な話も聞きました。が、祖母もやっぱり尊皇主義。そんな祖母も亡くなって久しくなりました。
ちょっとしんみり・・・。夏には時々こういう気分になる日があるんですよね。