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久しぶりにお酒を飲みました、と言うか飲んでます。

久しぶりにお酒を飲みました、と言うか飲んでいます。
薬の関係上、アルコールは厳禁となっているのですが、飲まずにはいられない事態がおきまして一人自宅で飲んでます・・・けど、マイナスなお酒はやっぱりいけません。今度は楽しいお酒を飲みたいものです。。。

これが原因でお酒を飲んでいるわけではないですが、本日のニュースで「聖徳太子論争と言うのがある」というのを見ました。聖徳太子というのは用明天皇の皇子(おうじ)、厩戸皇子(うまやどのみこ)のこと。実在の人物で初の女性天皇 推古天皇の摂政として活躍しました。推古天皇とは確か叔母と甥の関係だったかと思います。

「聖徳太子論争」というのは厩戸皇子が存命中には聖徳太子と呼ばれたことはなく、没後100年くらい後の書物「日本書紀」で出てくる名前だからです。つまり厩戸皇子は聖徳太子とは呼ばれたことはなく、かなり後になってつけられた称号であるのです。これを「聖徳太子は本当はいなかった」説と言うそうです。ですから、新年度の教科書には「聖徳太子」は出てこず「厩戸皇子」となっているのだそうで。もちろんこれには異論が出て国会でも論争になった。これが「聖徳太子論争」です。

ちなみに天皇の名前もここで言う称号です。例えば794年に平安遷都した桓武天皇の名前は山部(王)。生きている間には「桓武天皇」とは呼ばれませんでした。平安中期、小野小町の時代の仁明天皇(にんみょうてんのう)。本名は正良。当然存命中は「仁明天皇」とはよばれませんし、生きている間は「仁明」という言葉もありませんでした。天皇の名前というのは崩御後(死後)にその事績にちなんで付けられるもので、生きている間に付けられるものでは無いからです。(でも引退して上皇になった時には、称号で呼ばれる場合もありました)

しかし例外もあります。。それは後醍醐天皇と後村上天皇。後醍醐天皇の本名は尊治(たかはる)ですが「死んだら後醍醐と付けてくれ」と生前に言ったからです。後村上天皇は後醍醐天皇の皇子で跡継ぎ。これも後醍醐天皇が生前に決めた事でした。何故そうしたのか。それは醍醐天皇、村上天皇の時代を「延喜の治」と言い、摂政も関白もおかず、天皇親政の本当の統治が行われた時代として当時はあがめられていたからです。

ですから生前から「後」醍醐天皇、「後」村上天皇と決めたんですね。天皇親政を目指し3度も挙兵して鎌倉幕府を倒したエネルギッシュな後醍醐天皇らしい行為でしょうね。

でも本当の「延喜の治」の姿は菅原道真の憤死そして怨霊化、藤原純友そして平将門の乱が起こり怨霊化するという、とてもあがめていい時代ではありませんでした。そしてそれに憧れた「後」醍醐天皇も親政に失敗し、足利尊氏が離反して室町幕府を立てる。後醍醐天皇は大和(奈良)の吉野に逃れ憤死。跡を「後」村上天皇が継ぎます。これによって朝廷は大和吉野の南朝、室町幕府が支える京都の北朝に別れ、抗争を続けることになります。これがいわゆる「南北朝時代」です。。。

ちょっと前置きが長かったですが、聖徳太子もこの「称号」に当たるのではないかと。ならばもし「聖徳太子は本当はいなかった、いたのは厩戸皇子だ」とするなら「桓武天皇はいなかった、いたのは山部王だ」「後醍醐天皇はいなかった、いたのは尊治だ」になってしまわないかと・・・まあ、これはほんと~~~~に極論ですがね~(苦笑)

実はこの聖徳太子という称号にはかなり謎があるのです。これについては哲学者で仏教学者の梅原猛が「隠された十字架ー法隆寺論」やその他の著作で書いているのですが・・・酔っぱらってしまってちょっと今日はキツくなりました。。。かなり尻切れトンボですが、この辺りで失礼しますです。ごめんなさい…。
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エロ漫画家 藤咲 真です。


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