陰陽道(師)と呪禁道(師)の違い???
日々横になり、時々起きては家事をしています。
個人的な見解ですが陰陽道(師)と呪禁道(師)の違いを書いてみたいと思います。
まだ荷解きが完了してないので本が無いのですが記憶を頼りに書いてみたいと思います。
一番の基本はその役目です。
これが似ているようでかなり違う。
先ず律令制(政府機関)での寮(省)が違いました。呪禁道は典薬寮(いまでいう厚生省)、陰陽道は陰陽寮(今は無き内務省的な存在かな)でした。正確には唐帰りの吉備真備が典薬寮(いまでいう厚生省)を廃して陰陽寮(今は無き内務省的な存在)を創設したのです。それはこれが唯一の理由ではありませんが「病気」に対する対処法が違ってきたからでした。
人は何故病気になるのか。現代では主な原因は細菌、ウィルス、遺伝子異常などと解ってきましたが当時の主な原因は「もののけ」によるものでした。そしてだんだんと一番恐ろしいのが「怨霊のタタリ」になってきたのです。
呪禁道はその出自が道教であり、道(タオ)を極めることで不老長寿を得る宗教。その中でいわば病気に効きそうな部分を抜き出したもの(大雑把すぎますが)なのです。原因は鬼(死霊)ですからそれを払う、遠ざける呪法が主だったらしいです。これを「杖刀をもって魔を払う」と言いました。
前述の吉備真備が唐より持ち帰ったとされる金卯玉兎集から始まったとされるのが陰陽道。道教の中にある陰陽五行説を抽出して日本独自の呪術としたものです。呪禁道はより道教全般の影響が強く「不老不死」という側面「延命」という側面も強かったのですが、陰陽道はもはや陰陽五行説に特化して「魔を払う」に注力しているものでした(暦道はこの場合では省略します)
これを仏教で例えるなら奈良仏教とその後の仏教。仏教は最初「科学」として入ってきたました。つまり宗教というより学問として入ってきたのです。だから後に鑑真が戒律を伝えるため(宗教としての規律)苦難を超えて来日しました。そしてこれ以後、学問から仏教という「宗教」になったと言えるのです。
これをあてはめると学問的なものが陰陽道、より宗教色が残っているものが呪禁道かと思います。
・・・・・・・と、疲れましたので今日はここまでにしたいかなと思います。。。最近、だるさが増して日々寝て暮らす、3年寝太郎状態です(汗)
個人的な見解ですが陰陽道(師)と呪禁道(師)の違いを書いてみたいと思います。
まだ荷解きが完了してないので本が無いのですが記憶を頼りに書いてみたいと思います。
一番の基本はその役目です。
これが似ているようでかなり違う。
先ず律令制(政府機関)での寮(省)が違いました。呪禁道は典薬寮(いまでいう厚生省)、陰陽道は陰陽寮(今は無き内務省的な存在かな)でした。正確には唐帰りの吉備真備が典薬寮(いまでいう厚生省)を廃して陰陽寮(今は無き内務省的な存在)を創設したのです。それはこれが唯一の理由ではありませんが「病気」に対する対処法が違ってきたからでした。
人は何故病気になるのか。現代では主な原因は細菌、ウィルス、遺伝子異常などと解ってきましたが当時の主な原因は「もののけ」によるものでした。そしてだんだんと一番恐ろしいのが「怨霊のタタリ」になってきたのです。
呪禁道はその出自が道教であり、道(タオ)を極めることで不老長寿を得る宗教。その中でいわば病気に効きそうな部分を抜き出したもの(大雑把すぎますが)なのです。原因は鬼(死霊)ですからそれを払う、遠ざける呪法が主だったらしいです。これを「杖刀をもって魔を払う」と言いました。
前述の吉備真備が唐より持ち帰ったとされる金卯玉兎集から始まったとされるのが陰陽道。道教の中にある陰陽五行説を抽出して日本独自の呪術としたものです。呪禁道はより道教全般の影響が強く「不老不死」という側面「延命」という側面も強かったのですが、陰陽道はもはや陰陽五行説に特化して「魔を払う」に注力しているものでした(暦道はこの場合では省略します)
これを仏教で例えるなら奈良仏教とその後の仏教。仏教は最初「科学」として入ってきたました。つまり宗教というより学問として入ってきたのです。だから後に鑑真が戒律を伝えるため(宗教としての規律)苦難を超えて来日しました。そしてこれ以後、学問から仏教という「宗教」になったと言えるのです。
これをあてはめると学問的なものが陰陽道、より宗教色が残っているものが呪禁道かと思います。
・・・・・・・と、疲れましたので今日はここまでにしたいかなと思います。。。最近、だるさが増して日々寝て暮らす、3年寝太郎状態です(汗)