体調少々復活
先月は少々体調が悪く動けませんでした。今月はそんなこと言ってられず働かないとオマンマの食い上げになってしまいます。
なんとかがんばらないと!!
youtubeで心霊動画ばっかり見ていました。ら、京都の有名な心霊スポット某池の動画がありました。その中で鎧武者の亡霊が見えるという霊能者に対して心霊研究家らしき人が幽霊に「畠山かと聞いてください」「これで応仁の乱の陣営がわかります」的な事を言っていました。けど、応仁の乱では東軍にも西軍にも畠山がいるんですよね。そもそも乱の始まりとなる合戦は畠山政長と畠山義就の叔父と甥の家督争い。乱を通して「畠山」は両軍にいるんですよね。応仁の乱は将軍家、大名家の家督争いですから両軍に同じ苗字の武将が普通にいます。西軍の総大将は山名宗全なので山名家はみんな西軍であるように思われますが東軍にも山名氏がいました。また東軍は細川家が総大将と言われておりますが応仁記の武将目録に総大将であるハズの細川勝元の名前はないそうです。細川勝元は風流人であり実は武将というより公家のような扱いだったとか。思えば時代が下り関が原の合戦前、わずか500名で城を守る細川藤孝(細川勝元の子孫)に対し石田光成が大軍をもって攻めました。が、天皇より細川藤孝の命は絶対に助けるよう勅命があったそうです。細川藤孝は唯一の古今伝授の伝承者であり、藤孝が死んでしまうと公家の重要な文化が失われてしまう為だったとか。細川家が武将であり公家的な扱いはこの時代にもあったのかなあと思わせますよねえ・・・。
やっぱ応仁の乱はおもしろいですねえ。幽霊にちなみますがこの一番最初の合戦は「御霊合戦」と言いますし。
なんとかがんばらないと!!
youtubeで心霊動画ばっかり見ていました。ら、京都の有名な心霊スポット某池の動画がありました。その中で鎧武者の亡霊が見えるという霊能者に対して心霊研究家らしき人が幽霊に「畠山かと聞いてください」「これで応仁の乱の陣営がわかります」的な事を言っていました。けど、応仁の乱では東軍にも西軍にも畠山がいるんですよね。そもそも乱の始まりとなる合戦は畠山政長と畠山義就の叔父と甥の家督争い。乱を通して「畠山」は両軍にいるんですよね。応仁の乱は将軍家、大名家の家督争いですから両軍に同じ苗字の武将が普通にいます。西軍の総大将は山名宗全なので山名家はみんな西軍であるように思われますが東軍にも山名氏がいました。また東軍は細川家が総大将と言われておりますが応仁記の武将目録に総大将であるハズの細川勝元の名前はないそうです。細川勝元は風流人であり実は武将というより公家のような扱いだったとか。思えば時代が下り関が原の合戦前、わずか500名で城を守る細川藤孝(細川勝元の子孫)に対し石田光成が大軍をもって攻めました。が、天皇より細川藤孝の命は絶対に助けるよう勅命があったそうです。細川藤孝は唯一の古今伝授の伝承者であり、藤孝が死んでしまうと公家の重要な文化が失われてしまう為だったとか。細川家が武将であり公家的な扱いはこの時代にもあったのかなあと思わせますよねえ・・・。
やっぱ応仁の乱はおもしろいですねえ。幽霊にちなみますがこの一番最初の合戦は「御霊合戦」と言いますし。