心霊写真特集
連日エアコン稼働で体調が不安定です。やっぱり特にお腹が。食欲は減って良いのかも知れませんが。
今年も心霊写真の季節になってきました。
最近は昔に比べ、心霊番組が減ってしまい少々残念。昔はたくさんありました。午後のワイドショーとかでもやってましたもんね。視聴率が取れないからとかとも言われますが、放送業界で「迷信を過剰に助長する」から控えるように注意されたからとか聞きました。
たしかに心霊写真の解説で「アレ?」って思う事が時々あります。よく覚えてるのは確か木曜のフジの番組だったかな?と思いますが女性霊能者の言葉。日光中禅寺湖のホテルで撮られた心霊写真を武者の霊だと言い、それは場所柄だと言ったこと。番組の解説で戦場ヶ原が近いから・・・みたいなことを言ってしまってました。???・・・戦場ヶ原の由来は男体山の神と赤城山の神が大蛇と大ムカデになって戦った場所。本当の戦場ではありません。また畳が千畳の原という説もあり合戦やら武将とは関係ありません。これはいつだったか日光市役所の観光課に聞いたことでもあります。その時二荒山は宇都宮氏と同盟していたが日光で合戦は行われたか、とも聞いてみましたがそういう事実はなかったようです。
番組は「戦場ヶ原」→「合戦」→「武者の霊」という発想から来たとしか思えないですねえ・・・。しかもその写真の霊は面頬をつけてるように見える。というかそんな事言ってるし。という事は戦国以降。日光では合戦はないそうなので武者の霊だとしても・・・合戦とは関係ない、由来は別の霊でしょうねえ。。。
もう一つは・・・なんだったっけか、神にささげる為、人を殺しその内臓(血だったかな)を入れた壺が写った恐ろしい心霊写真。写真を撮った場所はインカかエジプト辺りかと思ったらなんと日本。見た時思ったのは・・・日本でそんな事してたの???でした。インカなどでは太陽にエネルギーを与える儀式があり、いけにえの人間がいけにえ台の上で生きたまま心臓をとりだされたとか、エジプトでは内臓を入れた壺などがあったと聞きますが、日本ではどうでしょう??東洋では生き埋めか首を切って埋めるか・・・殉死者はそういうのが常識だと思ってました。後々、兵馬俑や埴輪になるのですけど、日本でもそんなことしてたのかしら?しかも日本各地でそういうのが撮られていて、そのうちの一つが写ったのが清水寺。う~ん、時代的に考えても、仏様的に考えても・・・なんででしょう?当時から不思議に思ってましたが、どこかの写真家が光の加減で同様の写真がどこでも撮れる事を証明したとか・・・。それよりも内臓を入れた壺とか、日本では考えにくいように感じます。私が知らないだけかしら???
とは言え昔やってた「2時のワイドショー」の心霊写真特集は大好きでした。解説の霊能者(確か京都の寺院の院長さんだったかと)がものすごい具体的。「この霊はね、明治時代に8歳で死んだ少女の霊でお母さんを探して出てきた」とか「交通事故で20歳で亡くなった男性でひろしとかひろせとか言う・・・」という具合。ドキドキして見てました。
最近は動画ばかりで写真は減りました。なにせフォトショップがありますから信頼性薄くなりますもんね。それに動画の方がインパクト大きいですし。また写っても最近のデジタルカメラでは補正されてしまうとかとも聞いたことが(笑)やっぱり昭和の心霊写真の方が怖かったし浪漫があったかも。
今年も心霊写真の季節になってきました。
最近は昔に比べ、心霊番組が減ってしまい少々残念。昔はたくさんありました。午後のワイドショーとかでもやってましたもんね。視聴率が取れないからとかとも言われますが、放送業界で「迷信を過剰に助長する」から控えるように注意されたからとか聞きました。
たしかに心霊写真の解説で「アレ?」って思う事が時々あります。よく覚えてるのは確か木曜のフジの番組だったかな?と思いますが女性霊能者の言葉。日光中禅寺湖のホテルで撮られた心霊写真を武者の霊だと言い、それは場所柄だと言ったこと。番組の解説で戦場ヶ原が近いから・・・みたいなことを言ってしまってました。???・・・戦場ヶ原の由来は男体山の神と赤城山の神が大蛇と大ムカデになって戦った場所。本当の戦場ではありません。また畳が千畳の原という説もあり合戦やら武将とは関係ありません。これはいつだったか日光市役所の観光課に聞いたことでもあります。その時二荒山は宇都宮氏と同盟していたが日光で合戦は行われたか、とも聞いてみましたがそういう事実はなかったようです。
番組は「戦場ヶ原」→「合戦」→「武者の霊」という発想から来たとしか思えないですねえ・・・。しかもその写真の霊は面頬をつけてるように見える。というかそんな事言ってるし。という事は戦国以降。日光では合戦はないそうなので武者の霊だとしても・・・合戦とは関係ない、由来は別の霊でしょうねえ。。。
もう一つは・・・なんだったっけか、神にささげる為、人を殺しその内臓(血だったかな)を入れた壺が写った恐ろしい心霊写真。写真を撮った場所はインカかエジプト辺りかと思ったらなんと日本。見た時思ったのは・・・日本でそんな事してたの???でした。インカなどでは太陽にエネルギーを与える儀式があり、いけにえの人間がいけにえ台の上で生きたまま心臓をとりだされたとか、エジプトでは内臓を入れた壺などがあったと聞きますが、日本ではどうでしょう??東洋では生き埋めか首を切って埋めるか・・・殉死者はそういうのが常識だと思ってました。後々、兵馬俑や埴輪になるのですけど、日本でもそんなことしてたのかしら?しかも日本各地でそういうのが撮られていて、そのうちの一つが写ったのが清水寺。う~ん、時代的に考えても、仏様的に考えても・・・なんででしょう?当時から不思議に思ってましたが、どこかの写真家が光の加減で同様の写真がどこでも撮れる事を証明したとか・・・。それよりも内臓を入れた壺とか、日本では考えにくいように感じます。私が知らないだけかしら???
とは言え昔やってた「2時のワイドショー」の心霊写真特集は大好きでした。解説の霊能者(確か京都の寺院の院長さんだったかと)がものすごい具体的。「この霊はね、明治時代に8歳で死んだ少女の霊でお母さんを探して出てきた」とか「交通事故で20歳で亡くなった男性でひろしとかひろせとか言う・・・」という具合。ドキドキして見てました。
最近は動画ばかりで写真は減りました。なにせフォトショップがありますから信頼性薄くなりますもんね。それに動画の方がインパクト大きいですし。また写っても最近のデジタルカメラでは補正されてしまうとかとも聞いたことが(笑)やっぱり昭和の心霊写真の方が怖かったし浪漫があったかも。