横溝正史シリーズを観ました
ーーー今回はネタばれ満載でお送りしますーーー
久しぶりにまた横溝正史の映画を観ました。
「悪魔が来たりて笛を吹く」「悪魔の手まり歌」「病院坂の首縊りの家(金田一耕助最後の事件)」
すべてに同じような設定が出てきます。いわゆる「横溝スタイル」ですね(って、勝手に言ってるだけですけど)
若いヒロイン 旧家(もしくは名家) 複雑な家系 基本的に兄と妹ととの近親相姦 そして犯人は不幸な女性・・・。プラス 金田一耕助は犯人に同情的 金田一耕助がいても殺人は止められない というよりどうも途中で犯人がわかってるようなのだが 犯人(大抵女性)に同情して殺人を止めない・・・。
みる度にいつも思うのですけれど金田一耕助って名探偵なんですかねえ?だって依頼しても結局殺人は止まらないし、その上不幸な女性に同情して真実は話さないし(醍醐味ではありますけど)まあ、これが日本的なのかも???
それにもう一つすべての事件に共通する重要な要素があります。それは権威(権力)がありながら強圧的な絶倫男が出てくること。その男が複雑な家系のすべての原因で好き合った男女が近親相姦になるような事態を造ってるんです。
「悪魔が来たりて笛を吹く」では親戚中の女に手をつけた新宮利彦、「病院坂の首縊りの家」では母娘その他に子を産ました五十嵐猛蔵、「悪魔の手まり歌」では村中の女に手をつけた青池源治郎。「犬神家の一族」では犬神家当主、犬神 佐兵衛です。お父さんが一緒で腹違いの兄妹がいっぱいというシチュエーションはこういう一人の男が原因なんですよ。
思えばエロの題材としてはいいのかも。いわゆるハーレムですからね。
ネットでアナル系のエロ動画を見るとなんとなくですが日本は一人の女に複数の男、逆に海外(多分アメリカの動画)では男一人に複数の女が多いように感じます。(もしそうだとしたら)なんでなんでしょうか。ギャラの問題なんでしょうか?でも担当さんや他の作家さんの話を聞くと一人の女性を数人で・・・は人気がある?様なことをおっしゃいます。日本人はそっちのほうが好みなんでしょうか???
個人的にはハーレムの方がいいです。ちんちんいっぱいより、お○こいっぱいの方が好きですから(笑)
思えば大奥や妾制度があったんですから日本の男もそっちの方が好きなのでしょうけどね。
男の性的興奮の上昇は女性の反応にあるというので数人に弄ばれる女性の反応が日本の男は特に好きなのかも、と思ったり。・・・でも、個人的には一人の女性を複数で、というのはほとんど描きません。やっぱり、男大勢も描いた方がいいのかなあ。
久しぶりにまた横溝正史の映画を観ました。
「悪魔が来たりて笛を吹く」「悪魔の手まり歌」「病院坂の首縊りの家(金田一耕助最後の事件)」
すべてに同じような設定が出てきます。いわゆる「横溝スタイル」ですね(って、勝手に言ってるだけですけど)
若いヒロイン 旧家(もしくは名家) 複雑な家系 基本的に兄と妹ととの近親相姦 そして犯人は不幸な女性・・・。プラス 金田一耕助は犯人に同情的 金田一耕助がいても殺人は止められない というよりどうも途中で犯人がわかってるようなのだが 犯人(大抵女性)に同情して殺人を止めない・・・。
みる度にいつも思うのですけれど金田一耕助って名探偵なんですかねえ?だって依頼しても結局殺人は止まらないし、その上不幸な女性に同情して真実は話さないし(醍醐味ではありますけど)まあ、これが日本的なのかも???
それにもう一つすべての事件に共通する重要な要素があります。それは権威(権力)がありながら強圧的な絶倫男が出てくること。その男が複雑な家系のすべての原因で好き合った男女が近親相姦になるような事態を造ってるんです。
「悪魔が来たりて笛を吹く」では親戚中の女に手をつけた新宮利彦、「病院坂の首縊りの家」では母娘その他に子を産ました五十嵐猛蔵、「悪魔の手まり歌」では村中の女に手をつけた青池源治郎。「犬神家の一族」では犬神家当主、犬神 佐兵衛です。お父さんが一緒で腹違いの兄妹がいっぱいというシチュエーションはこういう一人の男が原因なんですよ。
思えばエロの題材としてはいいのかも。いわゆるハーレムですからね。
ネットでアナル系のエロ動画を見るとなんとなくですが日本は一人の女に複数の男、逆に海外(多分アメリカの動画)では男一人に複数の女が多いように感じます。(もしそうだとしたら)なんでなんでしょうか。ギャラの問題なんでしょうか?でも担当さんや他の作家さんの話を聞くと一人の女性を数人で・・・は人気がある?様なことをおっしゃいます。日本人はそっちのほうが好みなんでしょうか???
個人的にはハーレムの方がいいです。ちんちんいっぱいより、お○こいっぱいの方が好きですから(笑)
思えば大奥や妾制度があったんですから日本の男もそっちの方が好きなのでしょうけどね。
男の性的興奮の上昇は女性の反応にあるというので数人に弄ばれる女性の反応が日本の男は特に好きなのかも、と思ったり。・・・でも、個人的には一人の女性を複数で、というのはほとんど描きません。やっぱり、男大勢も描いた方がいいのかなあ。
「偽書『東日流外三郡誌』事件」の感想。ちと、長いです。。。
体調を崩していましたが涼しくなりなんとなく良い気分になってきました。 いつもの年だったらまだまだ残暑に悩まされる時期だと思うのですが本当に急に秋になってしまいましたね。実はずっと単行本の作業も続けていまして表紙も出来上がりました。次のブログ更新の折には表紙のアップが出来たらと思います。エロ漫画家としても正念場、この単行本も売れな・・・いや、日本は「言霊の助くる国」、「言葉には魂」があります。ですからこう言います。「今度の単行本は売れる!!!」
そうでなくては本当に困りますし・・・。
最近巷を騒がせている朝日新聞の大誤報を目にして、ふと以前から書こうか書かないか迷っていた本の感想があるのを思い出しました。趣味の「ムー」的(笑)な分野でもあるし、詳しく書けば長くなりそうだし、批判的に取られても困るので止めておこうと思っていたのですが・・・今回、間もあきましたし書いてみようと思いました。ちょっとムー的なオタク内容に偏った部分があるので読むのが面倒な方は読まないほうがいいと思います。長いですし・・・。それにあくまで個人の感想にすぎませんから・・・・・・。
もう数年前ですが「偽書『東日流外三郡誌』事件」を読みました。
かつて月刊「ムー」などにも取り上げられた「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)は20世紀最大の日本史的発見などと言われ一時「日本古代史を塗り替える発見かもしれない」と称されたりしました。古代、東北地方は独立したもうひとつの王国であった。それは独自の信仰を持ち、現在も謎の「アラハバキ神」は「荒覇吐」と称しその姿はまさに東北から出土する遮光土偶。本当に古代から続いている神が「荒覇吐神」なのです。時代は下がり、奈良時代でさえ東北には独自の王国が歴然とあり独自の外交を世界中と行っていたというのです。それはまさにもうひとつの「日本」。それどころかこの古文書によると、日本の正史「日本書紀」や「古事記」でさえ、中の記述にこの外三郡誌からとられた箇所が多々見られるといい、その上明治の大学者 福沢諭吉の著書「学問のすすめ」の名言「天は人の上に人をつくらず・・・」の出展はこの「東日流外三郡誌」である、という証拠の書簡まで出てきました。まさに日本の古代史を塗り替えるような古文書だったそうです。
日本人のルーツまで描かれているこの古文書。しかし眉唾・・・これほどの眉唾は中々ないかもしれません。
でもこの「東日流外三郡誌」は心打つ何かがあったのでしょう、人々は振り回されました。とある地方自治体では「東日流外三郡誌」から古代の祭りを再現し町あげて行ったり。それよりも欧米の研究機関がこの偽書を「日本の古文書」として保管していて日本史研究の一部にもなっているという事実です。多くのというかほとんどの日本の研究者は「東日流外三郡誌」を明らかな偽書であると断言しています。しかも「江戸時代」に書き写されたものといわれる「写本」自体がどう考えても現代に書かれたもの(少なくとも昭和初期)であると判断されています。つまり、発見者とされる人物が現代に書き上げたものではないかと。・・・つまり「東日流外三郡誌」はインチキ中のインチキ古文書なのだ!と糾弾し、其れに振り回された人々、裁判など検証を行ったのがこの本「偽書『東日流外三郡誌』事件」なのです。
著者は地方新聞の記者であり、それゆえ取材は緻密で正鵠を射ています。時代もあるでしょうが「スクープ」を狙う姿勢もいかにも記者魂を感じさせるものでした。この本を読むと一部にいまだにいるらしい「三郡誌を真実と言う学者」のいいわけが まさに空論と確信させるものです。かつて「神の手」と言われた考古学者の「旧石器捏造事件」を彷彿させますねえ。時期的にもちょっとかぶってますし、日本の古代研究を貶めたという点でもまさに同類行為なのでしょう。
ドキュメンタリーとしてはかなり秀逸で一読をお勧め出きるもの・・・なのですが、一部あくまで個人的にどうにも解せない部分がありました。それは「エピローグ」とされた言わば結論部分です。・・・とここで、ちょっと論調を断言口調にあえて変えてみたいと思います。自分はもって回った表現を好みますが、それだと文章が長くなりそうなので失礼を承知でこれから以後はちょっと断定口調で書きたいと思います。でも、あくまで個人的な意見に過ぎないのは相変わらずのことですけど。。。
途中でも出てくるのですが、この三郡誌を基にした仮想話、つまり小説をいわば大変な悪事とみなしています。言っているニュアンスを要約しますと「三郡誌は世紀のデタラメ、ましてそれを創った人物がそのデタラメで利益を得ようとしている物なのだぞ」「架空とはいえそんなものを題材に小説を書くなんて悪事に加担するも同然」「まさに悪事に乗っかって商売するようなもの」「ロマンがあるではすまされない」
言っていることは一応理解できますが、しかしあえて「だってそれは小説でしょう」と言いたいと思います。
ちなみに「小説」とはどういう意味か。「小説」があるのだから「大説」が当然あります。「大説」それは「歴史書」のことです。本来は中国語であるこの「小説」には元々バカにしたニュアンスが含まれているんですね。「俺らは真実を語っているのに、お前らは架空の事を言ってるだけじゃないか」「だから‘小‘説なのだよ」つまり小説は架空の事なんです、当たり前ですけど。「雨月物語」の作者上田秋成はその序文で「源氏物語」を書いた紫式部や「水滸伝」を書いた羅貫中は地獄に落ちている、だから「雨月物語」を書いた私も地獄に落ちて苦しむだろう、と言っています。なぜなら「小説(ウソ)」を書いたから。ウソをついて人々を惑わしたら地獄へ落ちるから。そう、「小説」はウソなんです。実際明治の大作家は小説を「真実もある嘘八百」と言っています。そんな小説が架空の歴史書を題材にしたからと言って「真実を捻じ曲げて伝えている悪いもの」になるでしょうか。そもそも小説自体が架空でいわば「偽書」みたいなものなのですから。そんな事言い出したらチャーチワードの「ムー大陸」を元にした小説はあってはいけないしですし、武田家遺臣(高坂弾正の遺臣)が記したと言われる『甲陽軍鑑』は現在「偽書」とされています(諸説あり、今後真実とされる可能性はあります)ということは『甲陽軍鑑』を基にした小説はいけないという事になるでしょう。そうなると恐らく現在のほとんどの武田信玄関係の小説がだめだということになってしまうでしょう。 多くが『甲陽軍鑑』から一部にしろ素材を持って来ていますから。そもそもSFはデタラメで架空のものを題材にしています。いまだに間違ったエーテル宇宙論を基盤に置いた小説などがあります。これだからSF小説なんてとんでもないものになるのでしょうか。このように大説(真実)以外はダメ、とこの著者の説ではなってしまいかねません。
実際、小説があまりにも出来過ぎていて「史実と勘違いされている」物はけっこうあります。一番有名なのは「三国志」でしょう。掲示板などでも「あの時代は・・・」と言ってこの「三国志」が取り上げられたりしますが千年以上後に書かれた娯楽小説なのです。「忠臣蔵」もそうですね。元ネタの「仮名手本忠臣蔵」は「赤穂事件」を室町初期の時代に置き換えた浄瑠璃で、明治期になって赤穂事件の名前をつけるようになったものです。当然ながら脚色されていて事実ではありません。このように確かに「架空の物語が事実」と受け取られていることはあります。しかし一方でしっかりと事実が受け継がれていれば(「コレは架空だよ~」と)さほど問題ではないように思います。当事者としては腹ただしいかもしれませんが所詮「架空のロマン」にすぎません。
しかし、これが「歴史のロマン」ですまされないのはどういう場合でしょうか?それは「真実と考えうるにたる信用置ける媒体に書かれた場合」でしょう。一般的には政府広報やかつての官における歴史書である日本書紀でしょう。ちなみに日本書紀は現在も書き続けられていると言います。あと真実に足る媒体はもちろん新聞です。新聞は多くの場合検証をうけて事実と言う場合だけ断定的記事が書かれていると認識されていることでしょう。つまり少し前までは「新聞に書かれていることは事実」と考えられていたという事です、現在は疑う人が多くなったとはいえ。ということは「真実であるべき媒体」が「偽書を真実のように扱って」それを「訂正、謝罪していない事」のほうが重大な問題ではないでしょうか。
これは「偽書『東日流外三郡誌』事件」の中にも書かれていますが『東日流外三郡誌』をまさに正しい文書として扱っておきながら真偽裁判後もそれを訂正していない新聞があるというのです。しかもそれは大手新聞の地方版だそうです。これはゆゆしき問題ではないでしょうか。天智天皇の死には二つ説があるといいます。ひとつは日本書紀にある「病死」説、もうひとつは弟の天武天皇に殺されたという「暗殺説」です。この暗殺説は後の「扶桑略記」という書に記されています。「扶桑略記」は正史である六国史にはない記述があり重要な資料とされていますが正史である「日本書紀」と後の時代僧が編纂したという「扶桑略記」の記述が重なった場合、どちらが信用されるかと言えばもちろん正史である「日本書紀」のほうでしょう。ですから書記の記述である天智天皇は「病死」が通説になっているのです。これが例えば物語(いわば小説的もの)だったらどうでしょう。「太平記」の記述がいかに真実味があっても当時の政府が出していた正式な「歴史書」の前では「所詮物語(架空の作品)」となってしまうでしょう。
後世への影響を考えても「真実であるべき書物」が「間違いを訂正せず載せたまま」にしているほうが小説などの「架空の物語を扱う文書」より重大である言えるのではないでしょうか。
仮に後の歴史家が『東日流外三郡誌』を発見し他に資料はないかと調べたとします。Aという作家の書いた小説が出てきました。しかしこれは架空の事を扱う小説に過ぎないので副次的資料にすぎません。「ちゃんと確証的な資料はないか?」探していたら大手新聞の地方版が出てきました。「これはいい資料だ、当事の新聞にも載っている。では正しい事だろう」こうなるのではないでしょうか。実際先日報道がなされた「慰安婦の大誤報」も日本のクオリティペーパーである「朝日新聞」が言い出して載せているという事が国連や他国でも信用された要因と言っております。この為日本は30年以上悩まされ続けました。(その悩みは現在進行中でもありその罪は大きいと言えます)これによっても判ると思いますが「新聞は真実を載せるもの」という認識があるのです。これらを考えて再三になりますが「いまだに『東日流外三郡誌』を基にした小説(そもそも架空のもの)が出回っている」事より「真実を載せるべき新聞が、事後も訂正をしていない」という事実の方がより重要な問題である上に、後に重大な結果を招く可能性があると言えるのではないでしょうか。
ただ、当事者としての気持ちはわかる気がします。これだけ取材してインチキを暴いてそれを糾弾してきた、いろいろな人を騙して迷惑をかけた物なのに、まだこのインチキに「ロマンがある」と言って小説が出回っている・・・腹が立つのはわかります。でも、それは記者としての客観的な目からではなくあくまで私憤に見えてしまうのも否めないと思います。ただ、やっぱり当事者としては腹ただしい。。。それは重々理解できますし、納得もできました。でも今後「甲陽軍鑑」や「孟子」、「三河後風土記」や「先代旧事本紀」、「ラジエルの書」などの偽書から小説を書いたら「とんでもないことだ!!インチキを助長する輩め」と糾弾されるような世にならないよう願いたいとは思います。
・・・と個人的な意見を勝手に書き連ねてしまいましたがあくまで本当に個人の感想にすぎません。他の感想をお持ちなる方を否定するものでもありませんし自分自身の勝手な思い込みでしかありません。そこはご了承下さい。最後になりましたがこの「偽書『東日流外三郡誌』事件」は大変面白いです。ドキュメンタリーとしてはかなりの良作だと思うので興味がある方にはお薦めしたいと思います。
そうでなくては本当に困りますし・・・。
最近巷を騒がせている朝日新聞の大誤報を目にして、ふと以前から書こうか書かないか迷っていた本の感想があるのを思い出しました。趣味の「ムー」的(笑)な分野でもあるし、詳しく書けば長くなりそうだし、批判的に取られても困るので止めておこうと思っていたのですが・・・今回、間もあきましたし書いてみようと思いました。ちょっとムー的なオタク内容に偏った部分があるので読むのが面倒な方は読まないほうがいいと思います。長いですし・・・。それにあくまで個人の感想にすぎませんから・・・・・・。
もう数年前ですが「偽書『東日流外三郡誌』事件」を読みました。
かつて月刊「ムー」などにも取り上げられた「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)は20世紀最大の日本史的発見などと言われ一時「日本古代史を塗り替える発見かもしれない」と称されたりしました。古代、東北地方は独立したもうひとつの王国であった。それは独自の信仰を持ち、現在も謎の「アラハバキ神」は「荒覇吐」と称しその姿はまさに東北から出土する遮光土偶。本当に古代から続いている神が「荒覇吐神」なのです。時代は下がり、奈良時代でさえ東北には独自の王国が歴然とあり独自の外交を世界中と行っていたというのです。それはまさにもうひとつの「日本」。それどころかこの古文書によると、日本の正史「日本書紀」や「古事記」でさえ、中の記述にこの外三郡誌からとられた箇所が多々見られるといい、その上明治の大学者 福沢諭吉の著書「学問のすすめ」の名言「天は人の上に人をつくらず・・・」の出展はこの「東日流外三郡誌」である、という証拠の書簡まで出てきました。まさに日本の古代史を塗り替えるような古文書だったそうです。
日本人のルーツまで描かれているこの古文書。しかし眉唾・・・これほどの眉唾は中々ないかもしれません。
でもこの「東日流外三郡誌」は心打つ何かがあったのでしょう、人々は振り回されました。とある地方自治体では「東日流外三郡誌」から古代の祭りを再現し町あげて行ったり。それよりも欧米の研究機関がこの偽書を「日本の古文書」として保管していて日本史研究の一部にもなっているという事実です。多くのというかほとんどの日本の研究者は「東日流外三郡誌」を明らかな偽書であると断言しています。しかも「江戸時代」に書き写されたものといわれる「写本」自体がどう考えても現代に書かれたもの(少なくとも昭和初期)であると判断されています。つまり、発見者とされる人物が現代に書き上げたものではないかと。・・・つまり「東日流外三郡誌」はインチキ中のインチキ古文書なのだ!と糾弾し、其れに振り回された人々、裁判など検証を行ったのがこの本「偽書『東日流外三郡誌』事件」なのです。
著者は地方新聞の記者であり、それゆえ取材は緻密で正鵠を射ています。時代もあるでしょうが「スクープ」を狙う姿勢もいかにも記者魂を感じさせるものでした。この本を読むと一部にいまだにいるらしい「三郡誌を真実と言う学者」のいいわけが まさに空論と確信させるものです。かつて「神の手」と言われた考古学者の「旧石器捏造事件」を彷彿させますねえ。時期的にもちょっとかぶってますし、日本の古代研究を貶めたという点でもまさに同類行為なのでしょう。
ドキュメンタリーとしてはかなり秀逸で一読をお勧め出きるもの・・・なのですが、一部あくまで個人的にどうにも解せない部分がありました。それは「エピローグ」とされた言わば結論部分です。・・・とここで、ちょっと論調を断言口調にあえて変えてみたいと思います。自分はもって回った表現を好みますが、それだと文章が長くなりそうなので失礼を承知でこれから以後はちょっと断定口調で書きたいと思います。でも、あくまで個人的な意見に過ぎないのは相変わらずのことですけど。。。
途中でも出てくるのですが、この三郡誌を基にした仮想話、つまり小説をいわば大変な悪事とみなしています。言っているニュアンスを要約しますと「三郡誌は世紀のデタラメ、ましてそれを創った人物がそのデタラメで利益を得ようとしている物なのだぞ」「架空とはいえそんなものを題材に小説を書くなんて悪事に加担するも同然」「まさに悪事に乗っかって商売するようなもの」「ロマンがあるではすまされない」
言っていることは一応理解できますが、しかしあえて「だってそれは小説でしょう」と言いたいと思います。
ちなみに「小説」とはどういう意味か。「小説」があるのだから「大説」が当然あります。「大説」それは「歴史書」のことです。本来は中国語であるこの「小説」には元々バカにしたニュアンスが含まれているんですね。「俺らは真実を語っているのに、お前らは架空の事を言ってるだけじゃないか」「だから‘小‘説なのだよ」つまり小説は架空の事なんです、当たり前ですけど。「雨月物語」の作者上田秋成はその序文で「源氏物語」を書いた紫式部や「水滸伝」を書いた羅貫中は地獄に落ちている、だから「雨月物語」を書いた私も地獄に落ちて苦しむだろう、と言っています。なぜなら「小説(ウソ)」を書いたから。ウソをついて人々を惑わしたら地獄へ落ちるから。そう、「小説」はウソなんです。実際明治の大作家は小説を「真実もある嘘八百」と言っています。そんな小説が架空の歴史書を題材にしたからと言って「真実を捻じ曲げて伝えている悪いもの」になるでしょうか。そもそも小説自体が架空でいわば「偽書」みたいなものなのですから。そんな事言い出したらチャーチワードの「ムー大陸」を元にした小説はあってはいけないしですし、武田家遺臣(高坂弾正の遺臣)が記したと言われる『甲陽軍鑑』は現在「偽書」とされています(諸説あり、今後真実とされる可能性はあります)ということは『甲陽軍鑑』を基にした小説はいけないという事になるでしょう。そうなると恐らく現在のほとんどの武田信玄関係の小説がだめだということになってしまうでしょう。 多くが『甲陽軍鑑』から一部にしろ素材を持って来ていますから。そもそもSFはデタラメで架空のものを題材にしています。いまだに間違ったエーテル宇宙論を基盤に置いた小説などがあります。これだからSF小説なんてとんでもないものになるのでしょうか。このように大説(真実)以外はダメ、とこの著者の説ではなってしまいかねません。
実際、小説があまりにも出来過ぎていて「史実と勘違いされている」物はけっこうあります。一番有名なのは「三国志」でしょう。掲示板などでも「あの時代は・・・」と言ってこの「三国志」が取り上げられたりしますが千年以上後に書かれた娯楽小説なのです。「忠臣蔵」もそうですね。元ネタの「仮名手本忠臣蔵」は「赤穂事件」を室町初期の時代に置き換えた浄瑠璃で、明治期になって赤穂事件の名前をつけるようになったものです。当然ながら脚色されていて事実ではありません。このように確かに「架空の物語が事実」と受け取られていることはあります。しかし一方でしっかりと事実が受け継がれていれば(「コレは架空だよ~」と)さほど問題ではないように思います。当事者としては腹ただしいかもしれませんが所詮「架空のロマン」にすぎません。
しかし、これが「歴史のロマン」ですまされないのはどういう場合でしょうか?それは「真実と考えうるにたる信用置ける媒体に書かれた場合」でしょう。一般的には政府広報やかつての官における歴史書である日本書紀でしょう。ちなみに日本書紀は現在も書き続けられていると言います。あと真実に足る媒体はもちろん新聞です。新聞は多くの場合検証をうけて事実と言う場合だけ断定的記事が書かれていると認識されていることでしょう。つまり少し前までは「新聞に書かれていることは事実」と考えられていたという事です、現在は疑う人が多くなったとはいえ。ということは「真実であるべき媒体」が「偽書を真実のように扱って」それを「訂正、謝罪していない事」のほうが重大な問題ではないでしょうか。
これは「偽書『東日流外三郡誌』事件」の中にも書かれていますが『東日流外三郡誌』をまさに正しい文書として扱っておきながら真偽裁判後もそれを訂正していない新聞があるというのです。しかもそれは大手新聞の地方版だそうです。これはゆゆしき問題ではないでしょうか。天智天皇の死には二つ説があるといいます。ひとつは日本書紀にある「病死」説、もうひとつは弟の天武天皇に殺されたという「暗殺説」です。この暗殺説は後の「扶桑略記」という書に記されています。「扶桑略記」は正史である六国史にはない記述があり重要な資料とされていますが正史である「日本書紀」と後の時代僧が編纂したという「扶桑略記」の記述が重なった場合、どちらが信用されるかと言えばもちろん正史である「日本書紀」のほうでしょう。ですから書記の記述である天智天皇は「病死」が通説になっているのです。これが例えば物語(いわば小説的もの)だったらどうでしょう。「太平記」の記述がいかに真実味があっても当時の政府が出していた正式な「歴史書」の前では「所詮物語(架空の作品)」となってしまうでしょう。
後世への影響を考えても「真実であるべき書物」が「間違いを訂正せず載せたまま」にしているほうが小説などの「架空の物語を扱う文書」より重大である言えるのではないでしょうか。
仮に後の歴史家が『東日流外三郡誌』を発見し他に資料はないかと調べたとします。Aという作家の書いた小説が出てきました。しかしこれは架空の事を扱う小説に過ぎないので副次的資料にすぎません。「ちゃんと確証的な資料はないか?」探していたら大手新聞の地方版が出てきました。「これはいい資料だ、当事の新聞にも載っている。では正しい事だろう」こうなるのではないでしょうか。実際先日報道がなされた「慰安婦の大誤報」も日本のクオリティペーパーである「朝日新聞」が言い出して載せているという事が国連や他国でも信用された要因と言っております。この為日本は30年以上悩まされ続けました。(その悩みは現在進行中でもありその罪は大きいと言えます)これによっても判ると思いますが「新聞は真実を載せるもの」という認識があるのです。これらを考えて再三になりますが「いまだに『東日流外三郡誌』を基にした小説(そもそも架空のもの)が出回っている」事より「真実を載せるべき新聞が、事後も訂正をしていない」という事実の方がより重要な問題である上に、後に重大な結果を招く可能性があると言えるのではないでしょうか。
ただ、当事者としての気持ちはわかる気がします。これだけ取材してインチキを暴いてそれを糾弾してきた、いろいろな人を騙して迷惑をかけた物なのに、まだこのインチキに「ロマンがある」と言って小説が出回っている・・・腹が立つのはわかります。でも、それは記者としての客観的な目からではなくあくまで私憤に見えてしまうのも否めないと思います。ただ、やっぱり当事者としては腹ただしい。。。それは重々理解できますし、納得もできました。でも今後「甲陽軍鑑」や「孟子」、「三河後風土記」や「先代旧事本紀」、「ラジエルの書」などの偽書から小説を書いたら「とんでもないことだ!!インチキを助長する輩め」と糾弾されるような世にならないよう願いたいとは思います。
・・・と個人的な意見を勝手に書き連ねてしまいましたがあくまで本当に個人の感想にすぎません。他の感想をお持ちなる方を否定するものでもありませんし自分自身の勝手な思い込みでしかありません。そこはご了承下さい。最後になりましたがこの「偽書『東日流外三郡誌』事件」は大変面白いです。ドキュメンタリーとしてはかなりの良作だと思うので興味がある方にはお薦めしたいと思います。
ヒロイン論?「図書館戦争」
実写版「図書館戦争」見ました。お金が無い中、100円でもきついのですが気分が落ち込んでいる時はやはり映画です。
実は個人的にアニメの実写版はけっこう好きで楽しみにしていたりします。ただ、落胆する作品も多いので微妙なんですが・・・例えば「デビルマン」とか「キャシャーン」とか・・・。ハリウッド版だと「ドラゴンボール」とかアニメとは違いますが「ゴジラ」(前作の事)等・・・これらはもう完全に別モノですけどねえ(苦笑)
個人的に良かったと思うのは「あしたのジョー」ですね。当時力石のお墓を建てる人達がいたほど熱烈なファンがいました。そういう情熱を持ったファンの方々から見れば実写版は違和感があるかもしれませんが自分はかなり良いと思いました。アニメで見ていた内容とほとんど変わらないと思いますし70年代(作品内は30年代かな)の雰囲気がすばらしい。CG技術も生きてますしね。一見の価値はあるのではないかと思います。同じくらい熱烈なファンがいた「宇宙戦艦ヤマト」の実写版ほど違和感はありませんでした。「ヤマト」ではヒロインの力が大きくなっていて個人的には違和感を感じましたし。
「ホラー映画クロニクル」という雑誌に90年代以降のホラーの特徴は「闘うヒロイン」と書かれてあります。一番象徴的なものは「ホラー映画クロニクル」でも書かれてるように1990年作「ナイト・オブ・ザ・リビングデット死霊創世記」(リメイク)ではないでしょうか。原作は1968年作の同名映画「ナイト・オブ・ザ・リビングデット」ですがヒロインの立ち位置がリメイクではまったく違います。68年作でのヒロインは脇役で、ただただ怯え泣き叫び、最終的には精神的に壊れていくという人物。ところが90年リメイクでは主役になり最初こそ恐れ怯えますが運命に立ち向かい最終的には自分の力で解決する人物になっています。銃をぶっぱなしてはかなりの命中率を誇りまさに68年作とは180度違う人物。アメリカのウーマンリブってむしろ60年代のはずですよねえ(笑)自分が男だからでしょうか、ホラー映画ではあまり強い女性というのはちょっと違和感を感じてしまう所があるのです。初版の監督は「キング・オブ・ホラー」ジョージ・A・ロメロ。リメイクでは脚本担当してますからこういう演出はOKだったってことですね。そういえばリメイク作品は大半が主人公が男から女になってますねえ。ロメロの代表作「ゾンビ」(78‘)も黒人警官が主人公(的)だったのではないかと思いますが、リメイク版「ドーン・オブ・ザ・デット」(04‘)では看護婦が主人公になってますしリメイク版「死霊のはらわた(2013)」しかりリメイク版「ザ・スィング(遊星からの物体X)」しかり・・・。
思えばJホラー代表作「リング」(98‘)も原作では主人公は男ですもんね。映画に先立ちフジで放映された高橋克典主演2時間ドラマのほうが原作に近かったと思います(貞子が常に全裸で、父親と近親相姦してるって設定が付けられてたけど・・・)こんな風潮だから最近はヒロインのオールヌード、シャワーシーンが減ったんでしょうか。残念・・・。
そういう意味では「図書館戦争」はいい意味で大変日本的でちょっと古い(?)感覚の映画かと思いました。これは決してディスってるわけではなくむしろ好みという事です。原作は未読でフジTVノイタミア枠のアニメが初見でしたが実写版もほぼ同じ内容になっています。アニメの時から設定の「初の図書特殊部隊女性隊員」というのが大変日本的と感じたのと「恋心」の表現が古め(?)と感じていたのです。そういえば自衛隊でも実戦部隊の女性隊員はほぼいないと聞いたことがありますし、ちょっと前に「初の」護衛艦女性艦長という動画を観たことがあります。「初の女性」というのが注目されるということはそれが当たり前ではない、女性の進出が遅れているという象徴でもあるわけですよね。そういえば「踊る大走査線」でも「初の」女性高級警察官僚(管理官)が出てきましたし、今時「初の女性」がヒロインになる物語というのは大変日本的ではないかと感じたわけです。思えば1976年作「ダーティ・ハリー3」で相棒の女性刑事ケイトが出てきますが新米で役立たずに描かれています。物語の中心ではないにしてもハリーと行動する中、成長し才能が垣間見えていく。「女とは組まない」とハリーが言うので「初」ではないのでしょうが、アメリカでもまだ「珍しかった」のではないでしょうか。同時期1970年代の「刑事コロンボ」でも婦警が出てきますがミニスカにハンドバック、そしてハイヒールという格好ですし。その足音で犯人が女性と気付く、というシーンなんですが明らかに銃をぶっぱなしまわす現在の女性警官と違いますよねえ。別の意味で考えれば日本は「初」がまだヒロインになれる国なのですよね。ちなみに「警察24時」系の番組が好きでよく観るのですが女性刑事が活躍するのは「生活安全課」ばかり。TVドラマのように「捜査一課」でバリバリの女刑事がいたらやっぱ流してほしいですねえ。
恋愛模様も「エースをねらえ」を彷彿させていただきました。正確には岡ひろみのあこがれは藤堂先輩ですが厳しい教官にあこがれる光るものはあるがドジな新人という構図は普遍だなあと。見ていなかったので細かい所はわかりませんが「スチュワーデス物語」もこんな構図ですよねえ。思えば「君に届け」などもヒットしましたし「まじめで奥手な女の子」というのが受けるのはいつの時代も変わらないのかもしれません。時代は変わっても好みの本質はかわらってないのかもなあ。逆に古くて新しい感覚なのかもしれません。ちなみに自分が生れて初めてハマったアニメが「エースをねらえ」でした。その感想が書きたくて日記を始めた程(3回しか書きませんでしたが)当時原作漫画も読んでみようと思いちょっと立ち読みしたのですが・・・漫画は男子にはきつかった。。。その頃初めて買った漫画の単行本は「ブラックジャック」の3巻でした。
また女性部下を平気で殴ってしまうのも日本ならでは・・・のような気がしました。「サー!イエス・サー!!」のアメリカ軍新兵訓練が映画によく出てきますが鉄建制裁してるシーンをほとんど見たことがありません。「24」でもあの拷問好きジャックが、シーズン7まで女は殴らなかったですしねえ。女がパニックになり男が殴って正気に戻すというシーンもずいぶん前から日本映画でしか見られなくなっているような気がします。
・・・と、言うような勝手な思い込み感想によりいい意味で古いタイプのアニメ、映画だったのではないかと思っています。実写化一番の効用はやっぱ戦闘シーンですね。実写は迫力があります。特に最近の戦闘はかっこいいですしねえ。接近戦のテンポも秀越だと思いました。ただ戦闘前の図書部隊とメディア良化委員会の交渉は第一次世界大戦以前の戦陣儀礼みたい(笑)
教官役はアイドルの岡田准一ですが演技もすばらしい。むしろ女優がもはや本業であろう榮倉奈々の方に少しだけ演技の難があったように感じました。ちょっと活舌の面ですかねえ。脇を固めたのが栗山千明ですから演技としては見劣りしたのかもしれません。しかしだからといってキャスティングに失敗したということではなく原作(アニメですけど)の雰囲気はまったく壊していないと思いました。アニメの「図書館戦争」も好きでしたが「実写版」のDVDも欲しくなりましたねえ。でも日本映画のDVDは高いんだよな。最近安くなってきましたがやっぱハリウッド製に比べると・・・資金が違うから仕方ないでしょうが貧乏人には手に入れづらい(悲)
アニメはフジでしたが映画はTBS。TBSの映画は当たらないと言われますけど個人的には好きな映画が多いです。今回の「図書館戦争」前出の「あしたのジョー」面白くないと言われたリメイク版「日本沈没」みんな好きですねえ。
実は個人的にアニメの実写版はけっこう好きで楽しみにしていたりします。ただ、落胆する作品も多いので微妙なんですが・・・例えば「デビルマン」とか「キャシャーン」とか・・・。ハリウッド版だと「ドラゴンボール」とかアニメとは違いますが「ゴジラ」(前作の事)等・・・これらはもう完全に別モノですけどねえ(苦笑)
個人的に良かったと思うのは「あしたのジョー」ですね。当時力石のお墓を建てる人達がいたほど熱烈なファンがいました。そういう情熱を持ったファンの方々から見れば実写版は違和感があるかもしれませんが自分はかなり良いと思いました。アニメで見ていた内容とほとんど変わらないと思いますし70年代(作品内は30年代かな)の雰囲気がすばらしい。CG技術も生きてますしね。一見の価値はあるのではないかと思います。同じくらい熱烈なファンがいた「宇宙戦艦ヤマト」の実写版ほど違和感はありませんでした。「ヤマト」ではヒロインの力が大きくなっていて個人的には違和感を感じましたし。
「ホラー映画クロニクル」という雑誌に90年代以降のホラーの特徴は「闘うヒロイン」と書かれてあります。一番象徴的なものは「ホラー映画クロニクル」でも書かれてるように1990年作「ナイト・オブ・ザ・リビングデット死霊創世記」(リメイク)ではないでしょうか。原作は1968年作の同名映画「ナイト・オブ・ザ・リビングデット」ですがヒロインの立ち位置がリメイクではまったく違います。68年作でのヒロインは脇役で、ただただ怯え泣き叫び、最終的には精神的に壊れていくという人物。ところが90年リメイクでは主役になり最初こそ恐れ怯えますが運命に立ち向かい最終的には自分の力で解決する人物になっています。銃をぶっぱなしてはかなりの命中率を誇りまさに68年作とは180度違う人物。アメリカのウーマンリブってむしろ60年代のはずですよねえ(笑)自分が男だからでしょうか、ホラー映画ではあまり強い女性というのはちょっと違和感を感じてしまう所があるのです。初版の監督は「キング・オブ・ホラー」ジョージ・A・ロメロ。リメイクでは脚本担当してますからこういう演出はOKだったってことですね。そういえばリメイク作品は大半が主人公が男から女になってますねえ。ロメロの代表作「ゾンビ」(78‘)も黒人警官が主人公(的)だったのではないかと思いますが、リメイク版「ドーン・オブ・ザ・デット」(04‘)では看護婦が主人公になってますしリメイク版「死霊のはらわた(2013)」しかりリメイク版「ザ・スィング(遊星からの物体X)」しかり・・・。
思えばJホラー代表作「リング」(98‘)も原作では主人公は男ですもんね。映画に先立ちフジで放映された高橋克典主演2時間ドラマのほうが原作に近かったと思います(貞子が常に全裸で、父親と近親相姦してるって設定が付けられてたけど・・・)こんな風潮だから最近はヒロインのオールヌード、シャワーシーンが減ったんでしょうか。残念・・・。
そういう意味では「図書館戦争」はいい意味で大変日本的でちょっと古い(?)感覚の映画かと思いました。これは決してディスってるわけではなくむしろ好みという事です。原作は未読でフジTVノイタミア枠のアニメが初見でしたが実写版もほぼ同じ内容になっています。アニメの時から設定の「初の図書特殊部隊女性隊員」というのが大変日本的と感じたのと「恋心」の表現が古め(?)と感じていたのです。そういえば自衛隊でも実戦部隊の女性隊員はほぼいないと聞いたことがありますし、ちょっと前に「初の」護衛艦女性艦長という動画を観たことがあります。「初の女性」というのが注目されるということはそれが当たり前ではない、女性の進出が遅れているという象徴でもあるわけですよね。そういえば「踊る大走査線」でも「初の」女性高級警察官僚(管理官)が出てきましたし、今時「初の女性」がヒロインになる物語というのは大変日本的ではないかと感じたわけです。思えば1976年作「ダーティ・ハリー3」で相棒の女性刑事ケイトが出てきますが新米で役立たずに描かれています。物語の中心ではないにしてもハリーと行動する中、成長し才能が垣間見えていく。「女とは組まない」とハリーが言うので「初」ではないのでしょうが、アメリカでもまだ「珍しかった」のではないでしょうか。同時期1970年代の「刑事コロンボ」でも婦警が出てきますがミニスカにハンドバック、そしてハイヒールという格好ですし。その足音で犯人が女性と気付く、というシーンなんですが明らかに銃をぶっぱなしまわす現在の女性警官と違いますよねえ。別の意味で考えれば日本は「初」がまだヒロインになれる国なのですよね。ちなみに「警察24時」系の番組が好きでよく観るのですが女性刑事が活躍するのは「生活安全課」ばかり。TVドラマのように「捜査一課」でバリバリの女刑事がいたらやっぱ流してほしいですねえ。
恋愛模様も「エースをねらえ」を彷彿させていただきました。正確には岡ひろみのあこがれは藤堂先輩ですが厳しい教官にあこがれる光るものはあるがドジな新人という構図は普遍だなあと。見ていなかったので細かい所はわかりませんが「スチュワーデス物語」もこんな構図ですよねえ。思えば「君に届け」などもヒットしましたし「まじめで奥手な女の子」というのが受けるのはいつの時代も変わらないのかもしれません。時代は変わっても好みの本質はかわらってないのかもなあ。逆に古くて新しい感覚なのかもしれません。ちなみに自分が生れて初めてハマったアニメが「エースをねらえ」でした。その感想が書きたくて日記を始めた程(3回しか書きませんでしたが)当時原作漫画も読んでみようと思いちょっと立ち読みしたのですが・・・漫画は男子にはきつかった。。。その頃初めて買った漫画の単行本は「ブラックジャック」の3巻でした。
また女性部下を平気で殴ってしまうのも日本ならでは・・・のような気がしました。「サー!イエス・サー!!」のアメリカ軍新兵訓練が映画によく出てきますが鉄建制裁してるシーンをほとんど見たことがありません。「24」でもあの拷問好きジャックが、シーズン7まで女は殴らなかったですしねえ。女がパニックになり男が殴って正気に戻すというシーンもずいぶん前から日本映画でしか見られなくなっているような気がします。
・・・と、言うような勝手な思い込み感想によりいい意味で古いタイプのアニメ、映画だったのではないかと思っています。実写化一番の効用はやっぱ戦闘シーンですね。実写は迫力があります。特に最近の戦闘はかっこいいですしねえ。接近戦のテンポも秀越だと思いました。ただ戦闘前の図書部隊とメディア良化委員会の交渉は第一次世界大戦以前の戦陣儀礼みたい(笑)
教官役はアイドルの岡田准一ですが演技もすばらしい。むしろ女優がもはや本業であろう榮倉奈々の方に少しだけ演技の難があったように感じました。ちょっと活舌の面ですかねえ。脇を固めたのが栗山千明ですから演技としては見劣りしたのかもしれません。しかしだからといってキャスティングに失敗したということではなく原作(アニメですけど)の雰囲気はまったく壊していないと思いました。アニメの「図書館戦争」も好きでしたが「実写版」のDVDも欲しくなりましたねえ。でも日本映画のDVDは高いんだよな。最近安くなってきましたがやっぱハリウッド製に比べると・・・資金が違うから仕方ないでしょうが貧乏人には手に入れづらい(悲)
アニメはフジでしたが映画はTBS。TBSの映画は当たらないと言われますけど個人的には好きな映画が多いです。今回の「図書館戦争」前出の「あしたのジョー」面白くないと言われたリメイク版「日本沈没」みんな好きですねえ。
ホラーを観ながら・・・
実家の用にかなり多忙な日々を送り、その後少々体調を崩していました。
持病の方は少し良くなったのですが何やら別の所が悪くなったと言われまして・・・やっぱ年ですねえ(汗)
最近寝ながらホラー映画を観ることが多くそのせいか夢見がとても悪い。ラストにいく前に寝てしまうのできっとレム睡眠時にちょうどホラーのクライマックスが来てるのでしょう、悪夢の最大の原因ですね。そういえばリメイク版「キャリー」を観たいと思っているんですがなかなか見る機会がありません。節約のためレンタルもこの頃全然行ってない。DVDもビンボー人にはまだちょっと高く買う気がおきませんし・・・廉価版1000円が出るのもまだ先でしょうしねえ。こりゃ当分無理かなあ。1976年の前作「キャリー」のDVDは持ってるんですが日本語の吹き替えが無しなので吹き替え好みの自分はあまり観ません。近頃吹き替えありのDVDが出たんで買い換えようかとも思ったんですけど・・・やっぱりビンボーがネックなんです。。。
リメイク版「キャリー」はリメイクにしてはあまり悪いコメントをみませんしリメイク好きの自分としては早く観たいんですよね。よく観るコメントはキャリー役の主演 クロエ・グレース・モレッツが美しすぎるというもの。まだ観てないのでなんとも言えませんが前作のシシー・スペイセクはあまり可愛いタイプではなく陰気ないじめられ少女にはピッタリでした。が、確かにクロエ・モレッツは綺麗すぎるかもしれませんねえ。個人的にクロエ・モレッツは大好きな女優です。一番最初に観たのは多分「モールス」です。が、もう最近(17歳)の雰囲気でした。もっと子供の頃からホラー映画に出てるんですよねえ。「100年後」で小さい子供役としてそして「ゾンビ・ナース」というちょっとキワモノ系にも出てるんです(ぜんぜんゾンビンナースっぽくない映画)中でもかっこ良かったのはやっぱり「Kick ass キック・アス」でしょう。アメリカ版中二病の映画ですが自分はかなり好き。レンタル当時「キック・アスが見れるのはTUTAYAだけ」といロゴがあり「吹き替えあるし まあ、観てみるか」程度だったんですが今でも時々観たくなります。この頃のクロエちゃんはかなり可愛いし「ヒットガール」は凛々しい(笑)ただ「モールス」や「キック・アス」の時も思ったんですがクロエは美人さんなんだけど・・・鼻の穴がちょっと大きいように思いますねえ、、、玉にキズでしょうか。
キャリーといえばオープニングのシャワーシーン。メイキングインタビューで出演女優がどうやっておっぱいや陰毛を隠そうかと考えたと言っていますが(しかしバッチリ見えてます)リメイク版にもあるのかなあ?17歳でヌードはアメリカでは無理だろうし無いんでしょうねえ。ホラー映画の意味のないヌードが大好きな自分は少し残念。子役の頃からホラー女優でヌードといえばリンダ・ブレアですね(自分も古いなあ)エクソシストの強烈な演技から大人になってからもそういう映画のオファーしかこないというインタビューを見たことがありますが、大人なったリンダ・ブレアの映画といえば「女刑務所」シリーズ。昔はTVでよくやってたんですが今はもう無理でしょうねあの手の映画は。。。
そういえばクロエ・モレッツはキャリーの宣伝の為来日してから劇太りしたという記事も見ました。そこもリンダ・ブレアにちょっと似ているように感じます。女優さんなんだしいつかは「芸術の為、脱ぎます」という日が来るのでしょうか。ちょっと期待できるような出来ないような・・・色々な意味で。。。
そういえば「キック・アス2」が出たんですがこれは吹き替え無し。吹き替え入れて欲しい。「薔薇の名前」「アマデウス」そして「エンゼル・ハート」・・・「バイオ・ショック2」も吹き替え版出して~(笑)
持病の方は少し良くなったのですが何やら別の所が悪くなったと言われまして・・・やっぱ年ですねえ(汗)
最近寝ながらホラー映画を観ることが多くそのせいか夢見がとても悪い。ラストにいく前に寝てしまうのできっとレム睡眠時にちょうどホラーのクライマックスが来てるのでしょう、悪夢の最大の原因ですね。そういえばリメイク版「キャリー」を観たいと思っているんですがなかなか見る機会がありません。節約のためレンタルもこの頃全然行ってない。DVDもビンボー人にはまだちょっと高く買う気がおきませんし・・・廉価版1000円が出るのもまだ先でしょうしねえ。こりゃ当分無理かなあ。1976年の前作「キャリー」のDVDは持ってるんですが日本語の吹き替えが無しなので吹き替え好みの自分はあまり観ません。近頃吹き替えありのDVDが出たんで買い換えようかとも思ったんですけど・・・やっぱりビンボーがネックなんです。。。
リメイク版「キャリー」はリメイクにしてはあまり悪いコメントをみませんしリメイク好きの自分としては早く観たいんですよね。よく観るコメントはキャリー役の主演 クロエ・グレース・モレッツが美しすぎるというもの。まだ観てないのでなんとも言えませんが前作のシシー・スペイセクはあまり可愛いタイプではなく陰気ないじめられ少女にはピッタリでした。が、確かにクロエ・モレッツは綺麗すぎるかもしれませんねえ。個人的にクロエ・モレッツは大好きな女優です。一番最初に観たのは多分「モールス」です。が、もう最近(17歳)の雰囲気でした。もっと子供の頃からホラー映画に出てるんですよねえ。「100年後」で小さい子供役としてそして「ゾンビ・ナース」というちょっとキワモノ系にも出てるんです(ぜんぜんゾンビンナースっぽくない映画)中でもかっこ良かったのはやっぱり「Kick ass キック・アス」でしょう。アメリカ版中二病の映画ですが自分はかなり好き。レンタル当時「キック・アスが見れるのはTUTAYAだけ」といロゴがあり「吹き替えあるし まあ、観てみるか」程度だったんですが今でも時々観たくなります。この頃のクロエちゃんはかなり可愛いし「ヒットガール」は凛々しい(笑)ただ「モールス」や「キック・アス」の時も思ったんですがクロエは美人さんなんだけど・・・鼻の穴がちょっと大きいように思いますねえ、、、玉にキズでしょうか。
キャリーといえばオープニングのシャワーシーン。メイキングインタビューで出演女優がどうやっておっぱいや陰毛を隠そうかと考えたと言っていますが(しかしバッチリ見えてます)リメイク版にもあるのかなあ?17歳でヌードはアメリカでは無理だろうし無いんでしょうねえ。ホラー映画の意味のないヌードが大好きな自分は少し残念。子役の頃からホラー女優でヌードといえばリンダ・ブレアですね(自分も古いなあ)エクソシストの強烈な演技から大人になってからもそういう映画のオファーしかこないというインタビューを見たことがありますが、大人なったリンダ・ブレアの映画といえば「女刑務所」シリーズ。昔はTVでよくやってたんですが今はもう無理でしょうねあの手の映画は。。。
そういえばクロエ・モレッツはキャリーの宣伝の為来日してから劇太りしたという記事も見ました。そこもリンダ・ブレアにちょっと似ているように感じます。女優さんなんだしいつかは「芸術の為、脱ぎます」という日が来るのでしょうか。ちょっと期待できるような出来ないような・・・色々な意味で。。。
そういえば「キック・アス2」が出たんですがこれは吹き替え無し。吹き替え入れて欲しい。「薔薇の名前」「アマデウス」そして「エンゼル・ハート」・・・「バイオ・ショック2」も吹き替え版出して~(笑)
悲しい時はいつも・・・
食料の買出しに行ってまいりました。
車に乗るのも買出しの週一回、ガソリンが減らずによいのですがびんぼー人には維持費が微妙。。。ここは東京近郊とはいえ辺鄙な場所なので車が無いと少々不便。・・・ではありますが自転車で代用できなくもない。軽自動車税も上がることですし手放そうかなと思いつつ処分にもお金がかかるのですよねえ。車検代もかかるし今年中に結論を出さねばならぬかも。
そんな折、3匹飼っていたハムスターの1匹がまた死んでしまいました。
あれ下痢してる?と思っていたら翌朝トイレ用砂場で冷たくなっていました。3日前にあげたキャベツが原因なのか?ネットによるとレタスは下痢するがキャベツならよいと書かれてあったんですけど。youtubeにもキャベツを食べてる動画があるし、他の2匹は変わりがないのですが・・・(涙)
キングハムスターは縄張り意識が強く基本的に単独飼いですが、ジャンガリアンハムスターは社会性があり多頭飼いも可能とネットに書いてあります。とはいえ個性があり(特にジャンガりアンは顕著と言われます)単独でないと絶対ダメな固体もいます。ちなみに一匹(メス)はすぐ喧嘩してしまい単独飼いにしましたが、残り2匹(オス)はもともと子供だったからかもしれませんが仲がよく一緒に飼っていました。死んだのはその仲良しの一匹。人間の視点にすぎないのかもしれませんが残った方がなにやら悲しそうに見える。ここは奮発してもう一匹購入することに決めました。
ペットショップだと一匹一匹別のケージに入れられていたのですが、最近近くにホームセンターが出来てそこで売っているハムスターは多頭飼いされています。これはあんまりよくないのですが「多頭飼いに慣れている」とも言える。早速好みの一匹を買ってケージに入れてみました。喧嘩しない。一緒に寝てる。どうやら性格もおとなしいハムスターらしく手で触ってもあまり嫌がらない。経験上ハムスターはオスの方がおとなしくて慣れやすい。反面、メスは活発でそれはそれで見ていておもしろいんですけど。以前逃げ出したのもメスです。
自己満足の視点にすぎないのかもしれませんがなにやら幸せそうでほんわり安心しました。
ただいい年こいたデブのオッサンがハムスター眺めてほんわかしてるのはどうかと思います。ペットコーナーのお姉さんもデブオッサンがハムスターを神妙に選んでいるのを見てびみょ~な目つきでしたしね・・・。。。
でも悲しくなると眺めてしんみりするんです。みんなビンボが悪いんや(なんで?)
車に乗るのも買出しの週一回、ガソリンが減らずによいのですがびんぼー人には維持費が微妙。。。ここは東京近郊とはいえ辺鄙な場所なので車が無いと少々不便。・・・ではありますが自転車で代用できなくもない。軽自動車税も上がることですし手放そうかなと思いつつ処分にもお金がかかるのですよねえ。車検代もかかるし今年中に結論を出さねばならぬかも。
そんな折、3匹飼っていたハムスターの1匹がまた死んでしまいました。
あれ下痢してる?と思っていたら翌朝トイレ用砂場で冷たくなっていました。3日前にあげたキャベツが原因なのか?ネットによるとレタスは下痢するがキャベツならよいと書かれてあったんですけど。youtubeにもキャベツを食べてる動画があるし、他の2匹は変わりがないのですが・・・(涙)
キングハムスターは縄張り意識が強く基本的に単独飼いですが、ジャンガリアンハムスターは社会性があり多頭飼いも可能とネットに書いてあります。とはいえ個性があり(特にジャンガりアンは顕著と言われます)単独でないと絶対ダメな固体もいます。ちなみに一匹(メス)はすぐ喧嘩してしまい単独飼いにしましたが、残り2匹(オス)はもともと子供だったからかもしれませんが仲がよく一緒に飼っていました。死んだのはその仲良しの一匹。人間の視点にすぎないのかもしれませんが残った方がなにやら悲しそうに見える。ここは奮発してもう一匹購入することに決めました。
ペットショップだと一匹一匹別のケージに入れられていたのですが、最近近くにホームセンターが出来てそこで売っているハムスターは多頭飼いされています。これはあんまりよくないのですが「多頭飼いに慣れている」とも言える。早速好みの一匹を買ってケージに入れてみました。喧嘩しない。一緒に寝てる。どうやら性格もおとなしいハムスターらしく手で触ってもあまり嫌がらない。経験上ハムスターはオスの方がおとなしくて慣れやすい。反面、メスは活発でそれはそれで見ていておもしろいんですけど。以前逃げ出したのもメスです。
自己満足の視点にすぎないのかもしれませんがなにやら幸せそうでほんわり安心しました。
ただいい年こいたデブのオッサンがハムスター眺めてほんわかしてるのはどうかと思います。ペットコーナーのお姉さんもデブオッサンがハムスターを神妙に選んでいるのを見てびみょ~な目つきでしたしね・・・。。。
でも悲しくなると眺めてしんみりするんです。みんなビンボが悪いんや(なんで?)