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「信長の合戦」を読みました。

「信長の合戦」を読みました。・・・って、もうかなり前ですけど。
古本化(ウチの中で)したので風呂用になり風呂で読んでいます。おかげで表紙を含めすべてごわごわに(笑
けっこう長風呂で20分以上入っていることもあり古本を持ち込んでよく読みます。
少し前には「日本の伝説」を読んでいましたが、なんだか怖い話も出てきたので歴史モノを。

現在風呂では桶狭間の合戦を読み終わりました。書かれたのが10年以上前の本なので最新の説は網羅されていません。
信長軍二千が実質的に戦ったのは今川軍本営の5千でしたが、最近ではそもそも今川全軍でも二万五千もいなかった・・・とか、桶狭間は奇襲ではなかった・・・とかの説もあるそうです。
(桶狭間の地理と「信長公記」の記述を考証した結果らしい。)
研究が進むにつれ昔習ったことと今は違うことになるのは仕方ないことですね。
「信長公記」と設楽原の地理の考証から「長篠の合戦」では有名な信長の「鉄砲三段撃ち」はなかったのではないか、というのが言われて最近の教科書では「三段撃ち」の記述がないと聞きました。
「いい国つくろう鎌倉幕府1192年」も 現在では 源頼朝が征夷大将軍に任命された1192年よりも 平家を滅ぼし日本各地に守護・地頭を配置する任命権を得た1185年のほうが正しいとされているようです。ということは今のテストで鎌倉幕府成立を1192年と書くとマチガイになるのかな?
「鎌倉幕府」という名称も当時は「幕府」と呼ばれたことは無いそうで、単に「鎌倉」とか「鎌倉殿」(頼朝のこと)と言っていたそうです。先に全国に守護・地頭を配置する任命権を得たと書きましたが西国の多くは未だ平氏(朝廷)の勢力下であり、寺社勢力の強い土地(例えば大和とか)には配置できなかったそうです。統べるのも武士のみで「全国政権」というよりは平将門が目指した「武士による関東独立政権」に近かったといいます。
それが完全に朝廷を圧倒し全国政権になったのは「承久の乱」(後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒すために兵を挙げた乱。幕府側の勝利)以後、つまり武士が後鳥羽上皇を島流しにして、時の天皇を廃した(九条廃帝)時からだそうです。
ちなみにこの「承久の乱」は大河ドラマ「草燃える」になっているそうですが、古いドラマなので観た事がありません。レンタル店にも置いてなくて・・・ゼヒ観てみたい!!

なんだか戦国時代とずれましたが「信長の合戦」の「姉川の戦い」を読んでいる中で 近江に出陣していた朝倉景鏡(あさくらかげあきら)勢二万が元亀元年六月十五日に「いたずらに月日をおくりてもせんなし」として本国越前に引き揚げていってしまったのを不思議・・・と書かれていましたが、これって「稲刈り」の準備なのではないでしょうか?六月十五日というと現在の暦では七月十七日・・・越前に帰って少し休んで一ヵ月後に稲刈り。。。って、「稲刈り」理由だとちょっと早いかな??
でも戦国時代の兵士は徴用された農民で、武士自体も農村を運営したりしていますよね。つまり「稲刈り」や「田植え」をやらないと経済基盤そのものが成り立たなくなるわけです。当時専門の兵士(農民ではなくお金で雇った兵士)多かったのは織田軍であり、その他多くの戦国武将は農民兵なので農繁期には自国に帰らざるおえなくなるそうです。
しかし朝倉軍が敵の信長軍の動きに鈍感であったことは確かで、一週間後の六月二十一日には信長軍の攻撃が始まり二十八日には合戦が始まるのだから「朝倉軍の緩い性」があったのは確かかもしれません。

ともあれ歴史関係の本って、読む本によって解釈が違う場合がけっこうあり大変です・・・と強引に閉めて見ました(汗
♪パンツ占い♪
今日のパンツ占いだよ!
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