気管支炎が全然治りません・・・(汗)
気管支炎が全然治りません・・・(汗) 熱は時々微熱が出る程度なのですが、咳が出ると本当にひどい。
以前から自律神経からの咳に悩まされていたのでそれがまた酷くなったのかなとも疑いました(この自律神経が原因と分かるまで本当にほんんんんと~~~~に、大変でした💦)
「喘息でしょうか?」と聞きましたが喘息は呼吸困難になるそうです。が、それはありません。とにかく酷い咳だけです。
仕方がないので部屋で横になっている日々。。。そこで読んでない本をちょっと読みました。最近本当に集中力がなくて本も10分くらいしか読めないのですが・・・。。。
読んだのは以前買っておいた「呪術と占星の戦国史」オビには「信長でさえ怨霊を恐れた」とあり、も~大好きなテーマです。ちょっと学術的な本なので原文(古文)などが載っており、面白いのですがちと「アレッ?」と思うところもありました。
内容はいかに戦国武将が神仏、特に軍神に頼り、帰依していたかという内容なのですがちょっと宗教的な知識が少ないかもしれないなあと思うことが多分に書いてありました。
例えばとある武将が軍神として阿弥陀如来、千手観音、日天、弁財天などを拝んでいたというのですが「日天とは大日如来のことであろうか」と書かれていたりします。・・・いやあ、多分、日天は天部の日天そのままのことだと思います。同じ天部の弁財天も拝んでいるのですから。それに大日如来を日天とはまず表さないでしょう。日天はむしろ観世音菩薩の化身とされていますから。そもそも日天といえば上杉謙信で有名な毘沙門天(多聞天)も含まれる12天のお一人・・・なので有名だと思うんですが。。。
また他にも「武将の前立てには摩利支天の梵字が使われる。また摩利支天の真言は鎧の各所に書かれていた。」「摩利支天は上杉謙信のように戦地へ軍神像を持ち込まれるようなことはなく真言そのものが信仰の対象だった」・・・いやあ、真言というのは色々な解釈があり複雑ですが その仏の功徳を現した言葉です。それが信仰の対象になるとはおかしな話。かつて空海が「言葉とは月を指す指にすぎない」と言いました。つまり言葉は月の方向を示していますが、月ではないのです。だから言葉(指)をいくら操って極めても「月(真理)」のことは全然わからない・・・と空海は言いました。当時の武将、民衆は現代人より信心深かったことは間違いありません。ましてや戦国武将には僧侶の家臣がいました。それに信玄など仏門に入道する武将も多くいました。恐らく、こんな基本のことは分かりきっていたことでしょう。。。
ただ、これは仕方がない事かもしれないとも思います。この本の序文でこの戦国史の先生は「合理的な戦国武将が本当に神や仏を信じていたはずがない」とず~と思っていたというのです。「神仏のせいすれば政治がやりやすい」から「信じているように見せかけていた」だけのはずだ、と信じていたというのです。作家の井沢元彦に言わせるとこういう考え方の歴史家が圧倒的に多いのだとか・・・。。。なんか、それって・・・・ひどいなと思うきょうこの頃でした。。。
・・・ちょっと書くのに疲れて・・・なんかびみょうに途中ですが、この辺りで終わりにします(ごめんなさい🙇)
以前から自律神経からの咳に悩まされていたのでそれがまた酷くなったのかなとも疑いました(この自律神経が原因と分かるまで本当にほんんんんと~~~~に、大変でした💦)
「喘息でしょうか?」と聞きましたが喘息は呼吸困難になるそうです。が、それはありません。とにかく酷い咳だけです。
仕方がないので部屋で横になっている日々。。。そこで読んでない本をちょっと読みました。最近本当に集中力がなくて本も10分くらいしか読めないのですが・・・。。。
読んだのは以前買っておいた「呪術と占星の戦国史」オビには「信長でさえ怨霊を恐れた」とあり、も~大好きなテーマです。ちょっと学術的な本なので原文(古文)などが載っており、面白いのですがちと「アレッ?」と思うところもありました。
内容はいかに戦国武将が神仏、特に軍神に頼り、帰依していたかという内容なのですがちょっと宗教的な知識が少ないかもしれないなあと思うことが多分に書いてありました。
例えばとある武将が軍神として阿弥陀如来、千手観音、日天、弁財天などを拝んでいたというのですが「日天とは大日如来のことであろうか」と書かれていたりします。・・・いやあ、多分、日天は天部の日天そのままのことだと思います。同じ天部の弁財天も拝んでいるのですから。それに大日如来を日天とはまず表さないでしょう。日天はむしろ観世音菩薩の化身とされていますから。そもそも日天といえば上杉謙信で有名な毘沙門天(多聞天)も含まれる12天のお一人・・・なので有名だと思うんですが。。。
また他にも「武将の前立てには摩利支天の梵字が使われる。また摩利支天の真言は鎧の各所に書かれていた。」「摩利支天は上杉謙信のように戦地へ軍神像を持ち込まれるようなことはなく真言そのものが信仰の対象だった」・・・いやあ、真言というのは色々な解釈があり複雑ですが その仏の功徳を現した言葉です。それが信仰の対象になるとはおかしな話。かつて空海が「言葉とは月を指す指にすぎない」と言いました。つまり言葉は月の方向を示していますが、月ではないのです。だから言葉(指)をいくら操って極めても「月(真理)」のことは全然わからない・・・と空海は言いました。当時の武将、民衆は現代人より信心深かったことは間違いありません。ましてや戦国武将には僧侶の家臣がいました。それに信玄など仏門に入道する武将も多くいました。恐らく、こんな基本のことは分かりきっていたことでしょう。。。
ただ、これは仕方がない事かもしれないとも思います。この本の序文でこの戦国史の先生は「合理的な戦国武将が本当に神や仏を信じていたはずがない」とず~と思っていたというのです。「神仏のせいすれば政治がやりやすい」から「信じているように見せかけていた」だけのはずだ、と信じていたというのです。作家の井沢元彦に言わせるとこういう考え方の歴史家が圧倒的に多いのだとか・・・。。。なんか、それって・・・・ひどいなと思うきょうこの頃でした。。。
・・・ちょっと書くのに疲れて・・・なんかびみょうに途中ですが、この辺りで終わりにします(ごめんなさい🙇)