気がついたら3月・・・
気がついたら3月・・・
時の流れはは早いですねえ、もう1年の1/4に入ってしまいました。。。
しかし自分は床に臥せっており、「貞子VS伽椰子」の英語版を観たりしています。そういえばYOUTUBEではお隣の国の事の動画が多く、興味深く見ております。そんな中で「100万(誇張らしいですが)ものデモがあるなんて民主主義の手本だ」みたいな事を言っているのを観ましたが、何か勘違いのような気がします。まあ、体制や政体としての民主主義という意味かもしれませんが、それでも「手本とすべき」事ではない気がするんです。特に近代民主主義では「国民主権」・「基本的人権」・「法の支配」が重要で、その中でも最も重要なのは「基本的人権」らしいです。これはどういう事かと言えば「どんな人、悪人でさえも犯してはならない権利がある」という事でしょうか。例えば、学校のクラスのみんなで宿題を忘れた生徒は全員の前で裸になると多数決で「民主的」にきめた。ある日、一人の女の子が宿題を忘れた。クラスが「民主的」にきめた約束に従って、その女の子は全員の前で全裸になった。これって30年くらい前に実際に合った事らしいです。この時、先生は「これはおかしい」と思いつつ「民主的」にきめたことなので止められず悩んだといいます。これは民主主義をよくわかっていないからだと言われました。民主主義で一番重要なのは「基本的人権の尊重」です。だからこそ多くの批判がある中でも凶悪犯の人権が守られるのです。だからこの場合「基本的人権の尊重」と「法の元の平等」を比べて「罪」に対する「人権」の尊重度を言えばよかったわけです。簡単に言えば「それは個人の尊厳をぶじょくしすぎる、罰なら掃除くらいでどうか」ということでしょう。では、何故民主主義の中で「基本的人権の尊重」が一番重要なのか。「基本的人権の尊重」ということはつまり「どんな人間でも平等の権利を持っている」という事でもあるでしょう。では何故人は平等なのか。。。それは「主(ヤハウェ=エホバ)が人間を等しく土くれから創ったから」主の御前では人間は平等である・・・つまり根本はキリスト教(一神教)らしいんですよね(笑)
これで行くとお隣の100万人デモ?も「民主的」かもしれないが本当に「民主主義の手本」なのかはわかりません。もう一つ勘違いしやすのは「多数決=民主主義」ですねえ。これは「民主的」かもしれないが本当に「民主主義」かどうかはわかりません。(前例の学校のクラスも多数決)だいたい共産主義国でも決め事は多数決ですからねえ、全員一致という出来レースだとしても(笑)
むしろ自分はこの全員一致ということの方が問題だと思います。以前書きましたが室町時代「加賀の一向一揆」というのがありました。「一揆」というのは本来「反乱」という意味ではなく「心を一つにして(揆を一にして)」という意味でみんなで一緒にという事です。でも「加賀の一向一揆」はもちろん反乱で加賀の守護大名富樫氏を国人(地侍)たちが滅ぼしてしまい「百姓の持ちたる国(百姓が治める国)」にしてしまいました。これをマルクス主義の歴史家達は絶賛しました。だってプロレタリア(労働者階級)が支配層を倒したわけですから(笑)でも本来は「一向一揆」と言われるのですから主体となったのは一向宗(浄土真宗)徒たちなのです。でもマルクス主義つまり共産主義的には「宗教はアヘン」ですから宗教の力を認めたくない。だから当時の貴族が「百姓の持ちたる国」と書いたのをよいことに「農民一揆だった」としてしまったという事です。だからちょっと前までは宗教色を押さえて教える先生がか結構いたということらしいんです。(自分はどうだったか覚えてませんが・・・)
ちょっと長くなってしまいましたが、だから「揆を一にしてのお隣の100万人デモ?」ももしかしたら民主主義的というよりむしろ「マルク・・・」いや自分の勝手な妄想ですね。。。
昔の知識なので間違ってたり誤解してたりしたらスミマセン・・・。
時の流れはは早いですねえ、もう1年の1/4に入ってしまいました。。。
しかし自分は床に臥せっており、「貞子VS伽椰子」の英語版を観たりしています。そういえばYOUTUBEではお隣の国の事の動画が多く、興味深く見ております。そんな中で「100万(誇張らしいですが)ものデモがあるなんて民主主義の手本だ」みたいな事を言っているのを観ましたが、何か勘違いのような気がします。まあ、体制や政体としての民主主義という意味かもしれませんが、それでも「手本とすべき」事ではない気がするんです。特に近代民主主義では「国民主権」・「基本的人権」・「法の支配」が重要で、その中でも最も重要なのは「基本的人権」らしいです。これはどういう事かと言えば「どんな人、悪人でさえも犯してはならない権利がある」という事でしょうか。例えば、学校のクラスのみんなで宿題を忘れた生徒は全員の前で裸になると多数決で「民主的」にきめた。ある日、一人の女の子が宿題を忘れた。クラスが「民主的」にきめた約束に従って、その女の子は全員の前で全裸になった。これって30年くらい前に実際に合った事らしいです。この時、先生は「これはおかしい」と思いつつ「民主的」にきめたことなので止められず悩んだといいます。これは民主主義をよくわかっていないからだと言われました。民主主義で一番重要なのは「基本的人権の尊重」です。だからこそ多くの批判がある中でも凶悪犯の人権が守られるのです。だからこの場合「基本的人権の尊重」と「法の元の平等」を比べて「罪」に対する「人権」の尊重度を言えばよかったわけです。簡単に言えば「それは個人の尊厳をぶじょくしすぎる、罰なら掃除くらいでどうか」ということでしょう。では、何故民主主義の中で「基本的人権の尊重」が一番重要なのか。「基本的人権の尊重」ということはつまり「どんな人間でも平等の権利を持っている」という事でもあるでしょう。では何故人は平等なのか。。。それは「主(ヤハウェ=エホバ)が人間を等しく土くれから創ったから」主の御前では人間は平等である・・・つまり根本はキリスト教(一神教)らしいんですよね(笑)
これで行くとお隣の100万人デモ?も「民主的」かもしれないが本当に「民主主義の手本」なのかはわかりません。もう一つ勘違いしやすのは「多数決=民主主義」ですねえ。これは「民主的」かもしれないが本当に「民主主義」かどうかはわかりません。(前例の学校のクラスも多数決)だいたい共産主義国でも決め事は多数決ですからねえ、全員一致という出来レースだとしても(笑)
むしろ自分はこの全員一致ということの方が問題だと思います。以前書きましたが室町時代「加賀の一向一揆」というのがありました。「一揆」というのは本来「反乱」という意味ではなく「心を一つにして(揆を一にして)」という意味でみんなで一緒にという事です。でも「加賀の一向一揆」はもちろん反乱で加賀の守護大名富樫氏を国人(地侍)たちが滅ぼしてしまい「百姓の持ちたる国(百姓が治める国)」にしてしまいました。これをマルクス主義の歴史家達は絶賛しました。だってプロレタリア(労働者階級)が支配層を倒したわけですから(笑)でも本来は「一向一揆」と言われるのですから主体となったのは一向宗(浄土真宗)徒たちなのです。でもマルクス主義つまり共産主義的には「宗教はアヘン」ですから宗教の力を認めたくない。だから当時の貴族が「百姓の持ちたる国」と書いたのをよいことに「農民一揆だった」としてしまったという事です。だからちょっと前までは宗教色を押さえて教える先生がか結構いたということらしいんです。(自分はどうだったか覚えてませんが・・・)
ちょっと長くなってしまいましたが、だから「揆を一にしてのお隣の100万人デモ?」ももしかしたら民主主義的というよりむしろ「マルク・・・」いや自分の勝手な妄想ですね。。。
昔の知識なので間違ってたり誤解してたりしたらスミマセン・・・。