見方、味方?
本日は眼科に行ってまいりました。定期的な眼底検査です。
網膜静脈血栓症以来、定期的に眼底検査を受けるよう言われていたのですが体調のせいかなかなか行けなかったのです。最近の眼底検査はレンズを目の中に入れないんですね。どこの病院でもそうなってきました。それと・・・自分の地域だけの話ですが眼科、皮膚科は女医さんが多いです、というより女医さん以外と当たったことがない(笑)まあ、年齢は妙齢の方からお若い方までバラバラですが(当たり前か)
これも当たり前の事ですが、私は患者の一人です。病院へ行くと毎度混雑。という事はそれだけ患者が多いという事で、お医者さんにとっては自分はそのうちの一人にすぎないのです。なのに親身に接してくれるお医者は大変だなあと。逆に自分たち患者にとってはお医者はその一人だけ。大勢のうちの一人(医者側の見方)と、その人オンリー(患者側の見方)ではかなり違うのだろうなあ。
ネットを見ていたら最近のお隣の某国の経済低迷の記事がありました。関連して動画があり、それを見たら1997年のアジア通貨危機の時、某国の危機を増長したのは日本なのだ、一番最初に資金を引き揚げた・・・とお隣の国では報道も世論もなっているそうです。これは大きな間違いで、実は最後までドル資金を供給したのは日本の銀行であり、日本は一番助けていた。それを知っている記者たちも某国では多いはずなのに、何故こんなウソが某国ではまかり通っているのだろう、と。この記事を見た日本の金融界はもし某国で次に金融危機が起こっても今度は冷たい仕打ちになるだろう、と。それは仕方ない「恩」を感じないどころかまさに「仇で返す」マネをしているからだそうです。
この記事を読んでずいぶん昔ですが、学生の頃の経験を思い出しました。
確か近代西洋美術史だったと思いますが中間試験では自作ノートの持ち込みが許可されていました。基本当時から歴男(笑)の自分。この辺は得意でノートも独特の取り方で記入してました。お気に入りのフレーズとかそんなのを特筆したりして。得意分野でもあったために試験は20分くらいで終わってしまい、ぼ~っとしてましたら後ろの席からつつかれました。見たら斜め後ろに座っている某国の留学生。何度か別のクラスでも一緒になったりして顔だけは知っていました。微妙な日本語で「ノート」を貸してくれ、と。・・・ノート持ち込み可のテストとはいえ、これはカンニングほう助になるのではないかしらん?それに自分のノートは余計な事が書き込まれていて試験に役立つ部分を探すのは日本語得意だとしても難しいのではないか・・・と10秒程なやみましたが相手は留学生。「自分のノートは読みにくいけどそれでもいいか?」と言って渡しました。それを見た担当教授。当然、注意をうけました。困った自分ですが留学生はなんと自分を指す。「説明してくれ」という事かなと思い「この人は留学生で、ノートをちゃんと取ることができず自分のを見せてほしいと頼まれたのです」・・・とちょっとだけ作り話を交えて説明。留学生と聞いて教授も仕方なく許可してくれたのでしょう、不問にされました。ただ名前と学生番号をメモられてちょっとビビり💦試験が終わりノートを返してくれたのですが「読みにくいね」の一言。。。(いくつかの講義で顔を知ってる程度なのに)でもノート程度なので無理やり感謝してくれとも言えませんが「ありがとう」位言って欲しかったなあという事を覚えております。これも文化の違いかもなあと思いましたねえ。出来れば学食おごってくれればもっと良かったかな(冗談です)(笑)
でも当時、某国留学生の女の子が知り合いにいて彼女はそんな事はなかった。ですから個人の問題かもしれませんねえ。(彼女は日本語ぺらペらでしたけど)以前にも書きましたが、彼女は「ジャングル大帝」「リボンの騎士」の作者を某国人だと思っていて手塚治虫の作品(日本の作品)と知って驚いていました。鳥山明作品も日本原産と知ってまたまた驚いていましたねえ。そして当時日本に来て一番驚いたことは「朝からHな番組をやっている事」。何の番組やらわかりませんでしたが(ちょっと前まで確か軍政だったと思いますので)自分は「それが自由の国なんだよ」と言った記憶があります。(笑)でも今は某国の方がすごい気がします。芸能人女性グループのファッションやダンスなんて・・・。。。そう言えば、濁音を50音で習うときおかしくて笑ってしまったとか。(がぎくげご、ざじずぜぞ・・・)にゃにゅにょのほうがおかしい気がするんですけどねえ。
彼女は卒業後、アメリカ留学することになりました。向こうに叔母さんが住んでいるとかで渡米祝いのサヨナラパーティーをささやかに居酒屋で催しました。「また逢えたらうれしい」と言っていましたが・・・もうかなり昔の話ですねえ。。。
網膜静脈血栓症以来、定期的に眼底検査を受けるよう言われていたのですが体調のせいかなかなか行けなかったのです。最近の眼底検査はレンズを目の中に入れないんですね。どこの病院でもそうなってきました。それと・・・自分の地域だけの話ですが眼科、皮膚科は女医さんが多いです、というより女医さん以外と当たったことがない(笑)まあ、年齢は妙齢の方からお若い方までバラバラですが(当たり前か)
これも当たり前の事ですが、私は患者の一人です。病院へ行くと毎度混雑。という事はそれだけ患者が多いという事で、お医者さんにとっては自分はそのうちの一人にすぎないのです。なのに親身に接してくれるお医者は大変だなあと。逆に自分たち患者にとってはお医者はその一人だけ。大勢のうちの一人(医者側の見方)と、その人オンリー(患者側の見方)ではかなり違うのだろうなあ。
ネットを見ていたら最近のお隣の某国の経済低迷の記事がありました。関連して動画があり、それを見たら1997年のアジア通貨危機の時、某国の危機を増長したのは日本なのだ、一番最初に資金を引き揚げた・・・とお隣の国では報道も世論もなっているそうです。これは大きな間違いで、実は最後までドル資金を供給したのは日本の銀行であり、日本は一番助けていた。それを知っている記者たちも某国では多いはずなのに、何故こんなウソが某国ではまかり通っているのだろう、と。この記事を見た日本の金融界はもし某国で次に金融危機が起こっても今度は冷たい仕打ちになるだろう、と。それは仕方ない「恩」を感じないどころかまさに「仇で返す」マネをしているからだそうです。
この記事を読んでずいぶん昔ですが、学生の頃の経験を思い出しました。
確か近代西洋美術史だったと思いますが中間試験では自作ノートの持ち込みが許可されていました。基本当時から歴男(笑)の自分。この辺は得意でノートも独特の取り方で記入してました。お気に入りのフレーズとかそんなのを特筆したりして。得意分野でもあったために試験は20分くらいで終わってしまい、ぼ~っとしてましたら後ろの席からつつかれました。見たら斜め後ろに座っている某国の留学生。何度か別のクラスでも一緒になったりして顔だけは知っていました。微妙な日本語で「ノート」を貸してくれ、と。・・・ノート持ち込み可のテストとはいえ、これはカンニングほう助になるのではないかしらん?それに自分のノートは余計な事が書き込まれていて試験に役立つ部分を探すのは日本語得意だとしても難しいのではないか・・・と10秒程なやみましたが相手は留学生。「自分のノートは読みにくいけどそれでもいいか?」と言って渡しました。それを見た担当教授。当然、注意をうけました。困った自分ですが留学生はなんと自分を指す。「説明してくれ」という事かなと思い「この人は留学生で、ノートをちゃんと取ることができず自分のを見せてほしいと頼まれたのです」・・・とちょっとだけ作り話を交えて説明。留学生と聞いて教授も仕方なく許可してくれたのでしょう、不問にされました。ただ名前と学生番号をメモられてちょっとビビり💦試験が終わりノートを返してくれたのですが「読みにくいね」の一言。。。(いくつかの講義で顔を知ってる程度なのに)でもノート程度なので無理やり感謝してくれとも言えませんが「ありがとう」位言って欲しかったなあという事を覚えております。これも文化の違いかもなあと思いましたねえ。出来れば学食おごってくれればもっと良かったかな(冗談です)(笑)
でも当時、某国留学生の女の子が知り合いにいて彼女はそんな事はなかった。ですから個人の問題かもしれませんねえ。(彼女は日本語ぺらペらでしたけど)以前にも書きましたが、彼女は「ジャングル大帝」「リボンの騎士」の作者を某国人だと思っていて手塚治虫の作品(日本の作品)と知って驚いていました。鳥山明作品も日本原産と知ってまたまた驚いていましたねえ。そして当時日本に来て一番驚いたことは「朝からHな番組をやっている事」。何の番組やらわかりませんでしたが(ちょっと前まで確か軍政だったと思いますので)自分は「それが自由の国なんだよ」と言った記憶があります。(笑)でも今は某国の方がすごい気がします。芸能人女性グループのファッションやダンスなんて・・・。。。そう言えば、濁音を50音で習うときおかしくて笑ってしまったとか。(がぎくげご、ざじずぜぞ・・・)にゃにゅにょのほうがおかしい気がするんですけどねえ。
彼女は卒業後、アメリカ留学することになりました。向こうに叔母さんが住んでいるとかで渡米祝いのサヨナラパーティーをささやかに居酒屋で催しました。「また逢えたらうれしい」と言っていましたが・・・もうかなり昔の話ですねえ。。。