なんだか大変・・・汗
ここ数日、というより一ヶ月くらい?「すわ、戦争か?」というような動画が挙げられていました。一般ニュース?でも見るようになりましたが、ここのところなんか落ち着いてるような。。。
ある本で中国が「日本は儒教国ですね」と言うのは本音ではほめてなく「二流国」と言ってるのと同じだ、というのを読みました。「中国こそが儒教の本場であるから、それを中国から教えてもらった国」だからそうです。
う~ん、まさに中華思想ですねえ。中華と言うのは「世界の真ん中の華の国」という意味で、それ以外は周辺地域の蛮族でしかないという考えです。わざわざ周辺地域に名前を付けて東夷(とうい)西戎(せいじゅう)南蛮(なんばん)北狄(ほくてき)と言いました。だから「魏志倭人伝」は「魏書東夷伝」の中に載っているのです。東の蛮族のうちの倭のお話というわけですね。有名な金印「日本国王」も、中国皇帝が辺境の蛮族を治める王として認めたという印で、中国の家臣国になったということです。これを柵封(さくふう、さっぷう)体制と言うのは昨今、よく知られるようになりました。
室町時代、独裁者三代将軍足利義満。義満は何度も明皇帝に使者を送り「臣源道義」(しんげんどうぎ)という名で「日本国王」の印をもらいました。おかげで正式に明との貿易で巨万の富を得ましたが、これは日本が中国の家臣になったということになります。「天皇」をいだく朝廷はこの事に対し強く難色を示しました。当然ですよね。なにせ日本は聖徳太子の「日出処の天子」の時代から中国皇帝と同等だ、として「天皇」陛下をいだいてきたのですから。しかも足利義満は当時の後円融天皇には不逞な態度を取るも、明の使者に対しては平身低頭、歓待しました。
しかし足利義満の本音は「天皇家を凌駕する」為に中国皇帝の権威を利用したにすぎなかったらしいです。天皇家より上の権威は国内には無い、ので外国から持ってきたというワケですね。でも、どんな理由であろうと外国の権威を持ち込む事は古今東西、亡国につながりかねない事。そういう意味でも足利義満は危険な人物だったのです。しかし義満は息子 義嗣の「親王宣下」(皇太子になれる称号)の直前に急死します。心臓病だとか流行り病と言われますが、朝廷にとって物凄く都合のいいタイミング。やっぱ暗殺でしょうかねえ??誰かが「日本」が「国王」になるのを守ったとも言えるのでしょうか。
「中国人」というのは「ユダヤ人」と同じような概念だといいます。つまりユダヤ教を信仰している人は人種に限らず「ユダヤ人」と言うように、中華思想を信仰している人は皆「中国人」となるようです。確かに考えてみれば現在の中国はいくつもの民族で構成されてます。一番最近では女真族が「清朝」を建てたおかげで「中国人」になりました。この事からもし豊臣秀吉が「唐入り」に成功してたら「豊臣朝」を建てて今頃「日本省」になってたかもしれませんねえ💦モンゴル(元)がまさにそんな感じでしたから・・・考えたらあぶなかった💦💦のかも知れません。。。。。。
江戸時代には儒教が盛んになり「日本こそ中国だ」(儒教の一等国)と言う儒学者も現れました。「日本人こそ中国人」だと。・・・なんか微妙。。。しかもこの時の儒教は「朱子学」。朱子学は英語では新儒教と訳されるようにかなり変化というか特化したものになったといいます(進化とは言えないようです)。
この朱子学は明治維新の原動力になった思想の一つ(あくまで日本型朱子学ですけど)ですが、とてもやっかい。まず善悪二つに分けるのが大好きらしく、しかも分けてしまったら悪は悪でしかないという狭量な見方にハマってしまいます。例えば古い時代の戦争だと勝った側が負けた側の兵士の死骸を葬ることを禁じることがありました。腐るに任せ、野犬などのエサにする。世界史の小説なんかで結構出てくる描写ですが、なぜそんな事をするかと言えば死んでも悪人は「悪」だからです。こういう事は大陸では歴史上近代近くまであったそうで、これも朱子学に限らず狭量な思想に悪と特定されたらいつまでも・・・ということなのでしょうか。
そしてやたら「正統」を重視する。それには「覇者」と「王者」の区別があるそうです。覇者とは「武力をもって国を統治する者」つまり悪い者。王者とは「徳をもって国を統治する者」つまり良い者です。もちろん正当なのは「王者」なわけです。一見すごく正しいですが、この朱子学が生まれた宋の時代、北方の遊牧民(金そして元)の侵略によって中華帝国「宋」が最も弱体化しました。その後に元に攻められ「南宋」になりついには滅ぼされます。世界の中心の文明国である中華帝国「宋」が野蛮な北狄の金、そして元に負けてしまったんです。悔しかったんでしょうねえ。だから「武力をもって国を統治する者」元は覇者だから悪、「徳をもって国を統治する者」宋こそが王者である、と言いたかったんでしょう。元は武力で中原を支配したが、「正統」なのは「王者」である我々、宋の漢民族だ・・・というわけです。
この考え方は現代中国にも受け継がれているように感じます。しかし、最も受け継がれているのは「小中華」とも言われる某国だというのも読みました。言われてみればとにかく「正統」を主張するのは本家中国より多い気がするんですよねえ・・・。本場の中国でさえ「天皇」というのに、ある一国だけがわざわざ「日王」と言い換えるのもその国の「小中華度」の表れ、侮辱したいという現れに見えても仕方ないのではないでしょうか。
以上、いつもながら多少の間違いはご容赦ください💦💦
ある本で中国が「日本は儒教国ですね」と言うのは本音ではほめてなく「二流国」と言ってるのと同じだ、というのを読みました。「中国こそが儒教の本場であるから、それを中国から教えてもらった国」だからそうです。
う~ん、まさに中華思想ですねえ。中華と言うのは「世界の真ん中の華の国」という意味で、それ以外は周辺地域の蛮族でしかないという考えです。わざわざ周辺地域に名前を付けて東夷(とうい)西戎(せいじゅう)南蛮(なんばん)北狄(ほくてき)と言いました。だから「魏志倭人伝」は「魏書東夷伝」の中に載っているのです。東の蛮族のうちの倭のお話というわけですね。有名な金印「日本国王」も、中国皇帝が辺境の蛮族を治める王として認めたという印で、中国の家臣国になったということです。これを柵封(さくふう、さっぷう)体制と言うのは昨今、よく知られるようになりました。
室町時代、独裁者三代将軍足利義満。義満は何度も明皇帝に使者を送り「臣源道義」(しんげんどうぎ)という名で「日本国王」の印をもらいました。おかげで正式に明との貿易で巨万の富を得ましたが、これは日本が中国の家臣になったということになります。「天皇」をいだく朝廷はこの事に対し強く難色を示しました。当然ですよね。なにせ日本は聖徳太子の「日出処の天子」の時代から中国皇帝と同等だ、として「天皇」陛下をいだいてきたのですから。しかも足利義満は当時の後円融天皇には不逞な態度を取るも、明の使者に対しては平身低頭、歓待しました。
しかし足利義満の本音は「天皇家を凌駕する」為に中国皇帝の権威を利用したにすぎなかったらしいです。天皇家より上の権威は国内には無い、ので外国から持ってきたというワケですね。でも、どんな理由であろうと外国の権威を持ち込む事は古今東西、亡国につながりかねない事。そういう意味でも足利義満は危険な人物だったのです。しかし義満は息子 義嗣の「親王宣下」(皇太子になれる称号)の直前に急死します。心臓病だとか流行り病と言われますが、朝廷にとって物凄く都合のいいタイミング。やっぱ暗殺でしょうかねえ??誰かが「日本」が「国王」になるのを守ったとも言えるのでしょうか。
「中国人」というのは「ユダヤ人」と同じような概念だといいます。つまりユダヤ教を信仰している人は人種に限らず「ユダヤ人」と言うように、中華思想を信仰している人は皆「中国人」となるようです。確かに考えてみれば現在の中国はいくつもの民族で構成されてます。一番最近では女真族が「清朝」を建てたおかげで「中国人」になりました。この事からもし豊臣秀吉が「唐入り」に成功してたら「豊臣朝」を建てて今頃「日本省」になってたかもしれませんねえ💦モンゴル(元)がまさにそんな感じでしたから・・・考えたらあぶなかった💦💦のかも知れません。。。。。。
江戸時代には儒教が盛んになり「日本こそ中国だ」(儒教の一等国)と言う儒学者も現れました。「日本人こそ中国人」だと。・・・なんか微妙。。。しかもこの時の儒教は「朱子学」。朱子学は英語では新儒教と訳されるようにかなり変化というか特化したものになったといいます(進化とは言えないようです)。
この朱子学は明治維新の原動力になった思想の一つ(あくまで日本型朱子学ですけど)ですが、とてもやっかい。まず善悪二つに分けるのが大好きらしく、しかも分けてしまったら悪は悪でしかないという狭量な見方にハマってしまいます。例えば古い時代の戦争だと勝った側が負けた側の兵士の死骸を葬ることを禁じることがありました。腐るに任せ、野犬などのエサにする。世界史の小説なんかで結構出てくる描写ですが、なぜそんな事をするかと言えば死んでも悪人は「悪」だからです。こういう事は大陸では歴史上近代近くまであったそうで、これも朱子学に限らず狭量な思想に悪と特定されたらいつまでも・・・ということなのでしょうか。
そしてやたら「正統」を重視する。それには「覇者」と「王者」の区別があるそうです。覇者とは「武力をもって国を統治する者」つまり悪い者。王者とは「徳をもって国を統治する者」つまり良い者です。もちろん正当なのは「王者」なわけです。一見すごく正しいですが、この朱子学が生まれた宋の時代、北方の遊牧民(金そして元)の侵略によって中華帝国「宋」が最も弱体化しました。その後に元に攻められ「南宋」になりついには滅ぼされます。世界の中心の文明国である中華帝国「宋」が野蛮な北狄の金、そして元に負けてしまったんです。悔しかったんでしょうねえ。だから「武力をもって国を統治する者」元は覇者だから悪、「徳をもって国を統治する者」宋こそが王者である、と言いたかったんでしょう。元は武力で中原を支配したが、「正統」なのは「王者」である我々、宋の漢民族だ・・・というわけです。
この考え方は現代中国にも受け継がれているように感じます。しかし、最も受け継がれているのは「小中華」とも言われる某国だというのも読みました。言われてみればとにかく「正統」を主張するのは本家中国より多い気がするんですよねえ・・・。本場の中国でさえ「天皇」というのに、ある一国だけがわざわざ「日王」と言い換えるのもその国の「小中華度」の表れ、侮辱したいという現れに見えても仕方ないのではないでしょうか。
以上、いつもながら多少の間違いはご容赦ください💦💦