言葉って難しい?
ゴールデンウイーク中、病院はお休み。
なのにこんな時に限って足のむくみが酷くなり床に座れなくなりました。特に右足がひどく左足の1.5倍くらいに腫れてしまってます。運動不足が原因の一つとネットで知って少し運動しようとしましたが靴が履きにくい。それでもウォーキングしたら靴ヅレを起こしてしまいました。以前から靴下脱ぐとクッキリ跡がついて中々取れなかったんです。それを実家に行った時、家族に見られて「お前、むくみが酷いな」と言われたのですがデブのせいだと思っていました。が、現在は自覚できるほど足が張ってます。ゴールデンウイーク明けに病院へ行こうと思います。。。
先日、言葉の意味を誤解している例というのを見ました。その中に「他力本願」があり間違った解釈として「他人の助けに期待すること」とありました。う~ん、これって間違いなのかしらん??本来の意味として「仏の力によって救済されること」となっていますが、ことさら厳密に言えばこっちも間違いだと思うんですが・・・。
うろ覚えですが「他力本願」とは浄土真宗の思想で阿弥陀如来の確か18番本願を信じることだと思います。阿弥陀は悟りをひらき仏になったら、自分を信じる者は必ず極楽浄土に転生させるという誓いを立てました。そして阿弥陀は仏になり阿弥陀如来となりました。ということは阿弥陀如来を信じれば必ず極楽浄土に転生できるはずです。(そういう誓いを立てて仏になったのですから)修行とか苦行とかしなくても阿弥陀如来を信じれば必ず極楽浄土に行ける。これを絶対他力と言いこの誓いを「他力本願」と言いました。だからそれを転じて「他人の助けに期待すること」はあながち間違いではないんじゃないかあ・・・って。。。それに厳密に言えば極楽浄土に転生しても「悟り」を開かなければ「生老病死」からは逃れられません。でも阿弥陀如来の極楽浄土ならば阿弥陀如来の導きによって悟りが開けるであろう・・・と。だから本当に厳密に言っちゃえば「仏の力によって救済されること」ではあるけれど「極楽浄土で阿弥陀如来の導きによって自分で悟りを開く」ことになるんじゃないかしらん??と。
ここから唯円の歎異抄「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人おや」がでてくるんですよね。
意味は「善人だって往生する。ましてや悪人は言うまでもないことだ」
これってすげーよなあって知った時に思いました。何故悪人のほうが往生できるのか。それは善人は善行を積む事に腐心して弥陀の信心が欠ける事がある。しかし悪人は煩悩ばかりでいざとなれば弥陀の信心が強くなる。というよりそんな悪人こそが凡夫であり普通で それを救う事こそが弥陀の本願である・・・。良心とか修行とかは全く関係なく「信仰心」が最も重要ということなのですね。確かに悪人ほど窮地になりやすく「阿弥陀様、どうか助けてくれ」という事が多そうですが・・・すげえなあ。ちなみにこの理論から「悪人でも極楽浄土に行けるんだから」と進んで悪い事をする信者が出てきたそうです。これを「本願ぼこり」と言い蓮如上人は「弥陀の救いがあろうとも進んで悪を行ってはならない」という御文(伝令書)を信者たちに送ったそうです。
この浄土真宗中興の祖 蓮如上人が設立した浄土真宗教団は後に戦国時代最大の怪物と言われた「一向一揆」になります。そしてこの一向一揆が恐れられた最大の理由が「死んだら必ず極楽浄土に行ける」のだから信者たちは死を全然恐れなかったからだそうで・・・。なんか現代でも・・・いいえなんでもないです。
「阿弥陀を一向に信心する」から一向宗は当然 実世界の主君より阿弥陀さまが大切なので領主や大名の言う事は聞かず、年貢も教団に納めました。それに対し領主が強圧に出てきても「死後は極楽」なので死を賭しても抵抗してきました。また、信者は大名の有力武将にもいたりして、そりゃあ怪物とも言われるような大教団だったそうです。加賀の冨樫氏は一揆勢に攻め滅ぼされましたし並みの大名ではとても対抗できなかった。徳川家康も織田信長との織徳同盟の後すぐ、年貢を納めない一向宗を挑発して倒そうとしましたが逆に本多正信など有力武将から多数、一向一揆に参加する者が出て、やっとの思いで鎮圧したんですよね。織田信長も「石山合戦」と言われた一向一揆との戦いは10年、正親町天皇に調停を頼み、やっと和平を結びました。その間、伊勢長島では弟が一揆勢に攻められて切腹。その一向一揆勢をだまし討ちにして皆殺し。住民への虐殺とされましたが・・・う~ん微妙かもなあとも思います。確かに農民なんですが 一向一揆はただの農民ではなくゲリラ兵や便衣兵に近い存在かもなあ・・・ともちょっと思ったりして。
って、かなり話がズレましたけど・・・書いてるうちになんか間違いかもしれないなあって思えてきました。
他人の助けを期待するのではなく信じないといけないのではないかなあって(苦笑)
PS 一向一揆は確かにすごかったんですが歎異抄を読むと他の宗派も決して悪いものではないが、阿弥陀如来を拝むことが一番良いこと(早道?)であるというような事が書かれていて結構柔軟でもあるなあとも思いました。読んだのは随分と前なのでうろ覚えですが・・・。
続PS 「信長の野望」はじめ戦国時代のシミュレーションがありますが、この「戦国の怪物 一向一揆」をうまくシミュレート出来ているゲームは無いような気がします。「信長の野望」シリーズだと一般の?農民一揆と大差ないような。ただ同時多発的だけど・・・なんか違うような気がするんですよねえ・・・。
なのにこんな時に限って足のむくみが酷くなり床に座れなくなりました。特に右足がひどく左足の1.5倍くらいに腫れてしまってます。運動不足が原因の一つとネットで知って少し運動しようとしましたが靴が履きにくい。それでもウォーキングしたら靴ヅレを起こしてしまいました。以前から靴下脱ぐとクッキリ跡がついて中々取れなかったんです。それを実家に行った時、家族に見られて「お前、むくみが酷いな」と言われたのですがデブのせいだと思っていました。が、現在は自覚できるほど足が張ってます。ゴールデンウイーク明けに病院へ行こうと思います。。。
先日、言葉の意味を誤解している例というのを見ました。その中に「他力本願」があり間違った解釈として「他人の助けに期待すること」とありました。う~ん、これって間違いなのかしらん??本来の意味として「仏の力によって救済されること」となっていますが、ことさら厳密に言えばこっちも間違いだと思うんですが・・・。
うろ覚えですが「他力本願」とは浄土真宗の思想で阿弥陀如来の確か18番本願を信じることだと思います。阿弥陀は悟りをひらき仏になったら、自分を信じる者は必ず極楽浄土に転生させるという誓いを立てました。そして阿弥陀は仏になり阿弥陀如来となりました。ということは阿弥陀如来を信じれば必ず極楽浄土に転生できるはずです。(そういう誓いを立てて仏になったのですから)修行とか苦行とかしなくても阿弥陀如来を信じれば必ず極楽浄土に行ける。これを絶対他力と言いこの誓いを「他力本願」と言いました。だからそれを転じて「他人の助けに期待すること」はあながち間違いではないんじゃないかあ・・・って。。。それに厳密に言えば極楽浄土に転生しても「悟り」を開かなければ「生老病死」からは逃れられません。でも阿弥陀如来の極楽浄土ならば阿弥陀如来の導きによって悟りが開けるであろう・・・と。だから本当に厳密に言っちゃえば「仏の力によって救済されること」ではあるけれど「極楽浄土で阿弥陀如来の導きによって自分で悟りを開く」ことになるんじゃないかしらん??と。
ここから唯円の歎異抄「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人おや」がでてくるんですよね。
意味は「善人だって往生する。ましてや悪人は言うまでもないことだ」
これってすげーよなあって知った時に思いました。何故悪人のほうが往生できるのか。それは善人は善行を積む事に腐心して弥陀の信心が欠ける事がある。しかし悪人は煩悩ばかりでいざとなれば弥陀の信心が強くなる。というよりそんな悪人こそが凡夫であり普通で それを救う事こそが弥陀の本願である・・・。良心とか修行とかは全く関係なく「信仰心」が最も重要ということなのですね。確かに悪人ほど窮地になりやすく「阿弥陀様、どうか助けてくれ」という事が多そうですが・・・すげえなあ。ちなみにこの理論から「悪人でも極楽浄土に行けるんだから」と進んで悪い事をする信者が出てきたそうです。これを「本願ぼこり」と言い蓮如上人は「弥陀の救いがあろうとも進んで悪を行ってはならない」という御文(伝令書)を信者たちに送ったそうです。
この浄土真宗中興の祖 蓮如上人が設立した浄土真宗教団は後に戦国時代最大の怪物と言われた「一向一揆」になります。そしてこの一向一揆が恐れられた最大の理由が「死んだら必ず極楽浄土に行ける」のだから信者たちは死を全然恐れなかったからだそうで・・・。なんか現代でも・・・いいえなんでもないです。
「阿弥陀を一向に信心する」から一向宗は当然 実世界の主君より阿弥陀さまが大切なので領主や大名の言う事は聞かず、年貢も教団に納めました。それに対し領主が強圧に出てきても「死後は極楽」なので死を賭しても抵抗してきました。また、信者は大名の有力武将にもいたりして、そりゃあ怪物とも言われるような大教団だったそうです。加賀の冨樫氏は一揆勢に攻め滅ぼされましたし並みの大名ではとても対抗できなかった。徳川家康も織田信長との織徳同盟の後すぐ、年貢を納めない一向宗を挑発して倒そうとしましたが逆に本多正信など有力武将から多数、一向一揆に参加する者が出て、やっとの思いで鎮圧したんですよね。織田信長も「石山合戦」と言われた一向一揆との戦いは10年、正親町天皇に調停を頼み、やっと和平を結びました。その間、伊勢長島では弟が一揆勢に攻められて切腹。その一向一揆勢をだまし討ちにして皆殺し。住民への虐殺とされましたが・・・う~ん微妙かもなあとも思います。確かに農民なんですが 一向一揆はただの農民ではなくゲリラ兵や便衣兵に近い存在かもなあ・・・ともちょっと思ったりして。
って、かなり話がズレましたけど・・・書いてるうちになんか間違いかもしれないなあって思えてきました。
他人の助けを期待するのではなく信じないといけないのではないかなあって(苦笑)
PS 一向一揆は確かにすごかったんですが歎異抄を読むと他の宗派も決して悪いものではないが、阿弥陀如来を拝むことが一番良いこと(早道?)であるというような事が書かれていて結構柔軟でもあるなあとも思いました。読んだのは随分と前なのでうろ覚えですが・・・。
続PS 「信長の野望」はじめ戦国時代のシミュレーションがありますが、この「戦国の怪物 一向一揆」をうまくシミュレート出来ているゲームは無いような気がします。「信長の野望」シリーズだと一般の?農民一揆と大差ないような。ただ同時多発的だけど・・・なんか違うような気がするんですよねえ・・・。