契約なんですよねえ。。。
有名な一神教は「契約」がポイントだと言います。まずモーセが神との契約「十戒」を結びます。「人がこうすれば神は救ってくださる」という契約。十戒とは「十の戒律」と言う意味で決め事であり神に救われるには破ってはならない規律の事。しかしこの契約はユダヤ民族のみだったのでイェスが新しく神との契約を結びます。イエスはローマなど全人類が救われる契約を結びました。後にイエスはキリスト(救世主)になり、神と同一視されますが、これらの所作を表した書が新しい契約と言う意味の「新約聖書」です。そして以前のユダヤ教の経典は前の契約という意味で「旧」を付け「旧約聖書」となりました。そのまた後の6世紀後半、ムハンマドが神の声を聴き、新しい「契約」を結びます。これがイスラム教。つまりユダヤ教、キリスト教、イスラム教は呼び名が微妙に違いますが(エホバ、ヤハゥェイ、アラー)ホントは同じ神。だからイスラム教はユダヤの聖典「旧約聖書」もキリスト教「新約聖書」も認めてはいるんですがイエスをキリスト(救世主)とまでは認めていない。キリスト教はユダヤの聖典「旧約聖書」を認めていますけど後にイエスが「キリスト(救世主)」として降臨したとする。ユダヤ教はもちろん「旧約聖書」だけが聖典なので大筋で以後の救世主、預言者(ムハンマド)を認めない。。。
この事を司馬遼太郎は仏教に比べたら「やさしい」と言いました。何故ならこれら一神教は「こうすれば救われる」と聖典に書かれているからだと。対して仏教は「悟りなさい」と書かれてはいるが「どう悟るか」まで書かれていないので千差万別な「悟り方」になってしまったと。キリスト教だって大きくはプロテスタントとカトリック、アリウス派とかアタナシウス派とかあって、考え方の違いからお互い殺し合い(しかも壮絶な)をしました。けど同じ最高神を信じているのは確か。でも日本仏教はお釈迦さまより大日如来が上だったり、阿弥陀如来が最高だったりします。これは「悟り」を開いたのはお釈迦様だけじゃないはず。もっと前に何人もいた。だからそっちを信じる、となっちゃうからだそうで。司馬遼太郎言う所「こんな難しいのにお釈迦さんはなぜこうしろと言わなかったんだろう」と。
お隣の某国はそんなキリスト教国を自負してるとか聞きました。なのに何故「契約」について、「約束事」についてよく理解してないんじゃないの?的な行動をとるのでしょうねえ???神との契約「旧約」「新約聖書」を深く知ってるだろうに…。日本教(仏さまも神様も拝む)の自分にはよくわかりません。。。。。。
この事を司馬遼太郎は仏教に比べたら「やさしい」と言いました。何故ならこれら一神教は「こうすれば救われる」と聖典に書かれているからだと。対して仏教は「悟りなさい」と書かれてはいるが「どう悟るか」まで書かれていないので千差万別な「悟り方」になってしまったと。キリスト教だって大きくはプロテスタントとカトリック、アリウス派とかアタナシウス派とかあって、考え方の違いからお互い殺し合い(しかも壮絶な)をしました。けど同じ最高神を信じているのは確か。でも日本仏教はお釈迦さまより大日如来が上だったり、阿弥陀如来が最高だったりします。これは「悟り」を開いたのはお釈迦様だけじゃないはず。もっと前に何人もいた。だからそっちを信じる、となっちゃうからだそうで。司馬遼太郎言う所「こんな難しいのにお釈迦さんはなぜこうしろと言わなかったんだろう」と。
お隣の某国はそんなキリスト教国を自負してるとか聞きました。なのに何故「契約」について、「約束事」についてよく理解してないんじゃないの?的な行動をとるのでしょうねえ???神との契約「旧約」「新約聖書」を深く知ってるだろうに…。日本教(仏さまも神様も拝む)の自分にはよくわかりません。。。。。。