2ntブログ

う~ん、やっぱ難しい事ですねえ。。。

右足の腫れが全然引きません。
痛風にしてはちょっと長すぎると思いかかりつけ医に行ったところ大学病院に行くように言われました。でも・・・遠いんですよねえ、というか遠すぎます。なかなか行きにくい。

動画を観ていて思う事。最近、多く出てくるのが「ブーメラン」です。
まあ、政治の世界で今やこの武器が多く出てきますが(特に某野党)学問?の動画にも時々見られる気がします。最近、ある学者?さんにハマって良く見てるのですが、この方は戦国武将や歴史から例えを持ってくることが多い。動画ですのでいつの発言かはわからないのですが歴史から例えを引くのはやめた方がいいのかもしれないなあと思いました。「人間は表面だけ見てちゃダメよ」って主張なので特にそう感じられてしまいます。

昔ってある意味今より合理的だった部分もあるんじゃないかなと感じるんです。例えば戦国末期から江戸時代の石高制。1石とは1年間に一人の人が食べるコメの量。それが取れる面積が一反。そして10反が一町になります。しかし歩で測ることもでき、300歩が一反でもありました。加賀100万石前田家。これは1年間で100万人が養える(米だけの話ですが)大名という事です。ちなみに一万石=250人という公式?もありました。一万石の大名は250人の兵を出せるという公式です。実際には時代や地域によって上下しますけどほぼこれが平均だったと言われているようです。ですので桶狭間の合戦の時。織田軍は3000人だったというので織田信長は多分12万石。対する今川軍は公称4万、実数24000~27000位だったので今川義元は100万石。最近は奇襲ではなく正式対峙?だったという説もあるそうですが戦力差は約10倍でした。

ちと話がそれましたが昔だってかなり合理的で むしろ昔の方がわかりやすい事もあるように思うんですよねえ。ただ古いとしてしまう事もまた「表面だけ見てちゃダメ」な感じがするんですよねえ。。。

ちなみに封建的とされる長男相続もまた歴史の要望だった部分が多い気がするんです。
例えば鎌倉時代の武士は平等相続でした。場合によっては女子にも相続権があったと言います。武士は家門を維持するため子沢山でもあります。それを平等に相続させてしまっては大地主でも結局小作人沢山の状態になってしまいます。特に武士は幕府から命令されれば軍事や作事(築城など土木建築)に出向かなければなりません。その際の出費はすべて自前。そのために幕府から土地の権利を認められているのですし。しかし平等に相続だった為に小作人沢山の状態になってしまい破産する武士が多数出てしまいました。そういう武士の不満がたまっている所に元が来襲。勝っても恩賞をくれない幕府(防衛戦なので土地を取ってないので仕方ないんですが)に益々不満がつのり結果鎌倉幕府は崩壊しました。

そこで室町時代になると惣領制になります。惣領制とは沢山兄弟がいるうちで「一番優秀」な者が全てを継ぎ、残りの兄弟は家臣になってそれを盛り立てるという制度です。全てを継げる者を惣領と言いました。ちなみに今では長男の事を惣領とも言いますが(私も良く言われました)正確には違います。だって長男が「一番優秀」とは限りませんから。一見、優秀な者が全てを継ぐという理屈にも合う合理的な相続法のように見えますが これがとんでもなく問題でした。例えば父が三男を「一番優秀」だと見て「惣領は三男だ」と決めたとします。これに長男、次男が「わかりました、弟が後を継いだら私たちは弟の家臣になります」と簡単に承諾するでしょうか。実際そうはならず長男、次男は反旗を翻し骨肉相争う「お家騒動」に発展しました。こうなりやすいので多くの場合やはり長男が跡継ぎになるのですが・・・結局、惣領制です。弟が「俺の方が優秀だ」と思えばやっぱり内乱になってしまいました。室町時代の大大名のほとんどに内乱が起こり骨肉相争い衰退してしまったのです。それは戦国時代を招いた応仁の乱が将軍家の後継問題に各大名の後継問題が絡んだものというのにも表れているのかもしれません。

これらを一挙に解決する方法が長子相続でした。バカでもアホでもとにかく長男が継ぐ。弟は家来。これが徹底されれば内乱は起こりませんし、大大名が分割されてしまうような事も起こりません。有能な弟は兄を助ければ良いのです。これを徹底したのはやはり徳川家康でしょうねえ。有名な逸話があります。2代将軍秀忠と正室の江は長男の竹千代より次男の国松の方が優秀だったので3代目は次男の国松にしようと考えていました。それを聞いた家康は隠居所の駿河から江戸城にひょっこり「遊び」に来た。家康は上座から竹千代、国松兄弟に謁見します。長男竹千代には「竹千代どの」と敬称付きで呼び、手ずからお菓子を与えました。それを見た国松が近づこうとすると「国松は待っておれ!」と叱りつけました。そして国松には「菓子じゃ。受け取れ」と言って放ってよこしたと言います。これは言外に「3代目は長男竹千代、国松はその家来」と秀忠、江夫妻に示したものでした。この竹千代が後の三代将軍家光、国松(国千代)が駿河大納言忠長です。南条紀夫「シグルイ」で忠長は殺生大納言として血に飽いた残酷なお殿様に描かれています。が、最近ではちと眉唾ではないかという説もあります。試し切りや辻斬りを好んだのは若き家光の方という説も有力。思えば殺生関白として処断された豊臣秀次も秀吉に血を分けた秀頼が生まれた為に汚名を被らされたというのが本当っぽいですしねえ。有力者を処断する理由に「残酷」というのがこの時代多すぎるように感じます。忠長も兄家光から切腹を申しつけられました。

また話がそれましたが こういう理由で長子相続が一般的になっていき、戦前まで続きました。これを「封建的で不合理」というのは「表面だけ見てちゃダメ」と言う人の言葉とは・・・ちょっと、う~んとも感じてしまうんですよねえ。まあ平等と言うなら鎌倉時代、合理的と言うなら一番優秀な人を選ぶ室町時代でしょう。でもここまで考えて例を出すのも逆に大変かもとも思ったりして・・・。やっぱ、難しい。。。
♪パンツ占い♪
今日のパンツ占いだよ!
thanks font:S2G
プロフィール

ふじさきまこと

Author:ふじさきまこと
エロ漫画家 藤咲 真です。


単行本は過去12冊
(単行本化されていない作品集めると2〜3冊分ありますけど・・・)


お仕事依頼はツイッター 藤咲真 18禁 へどうぞよろしくお願いいたします。

FC2カウンター
カテゴリ
最新トラックバック
月別アーカイブ
今日の日付入りカレンダー

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
リンク
最新記事
最新コメント
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSリンクの表示
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

QRコード
QRコード
検索フォーム