神が在っても神無月
10月に入りました。
10月の別名「神無月」各地の神が出雲大社に出向くため「神がいなくなる月」だから「神無月」となったと昔 教わりました。が、「大語源」によるとむしろ「神な月」(神の月)から「神無月」になったという全く逆の説。これは6月を「水な月」(水の月)=「水無月」というのと同じ。出雲地方では神が集まってくるから「神在月」と言うのですがこれも本当は俗信なのだそうです。
10月は収穫祭や田の神が山の神に戻ったりと確かに神様がお忙しい月。出雲に出向いていられませんね。ちなみになんで神様が出雲大社に出向くかと言えば祀られている大国主との会議が目的。神様 皆んなで相談し今後の運命や人の生き死にを決定するんだそうです。でも昔はなんで出雲なの?日本の最高神、天照大御神の伊勢神宮じゃないの?と思ってました。が、日本の神は一神教と違い、役割がはっきり別れます。これはギリシャ神話とかでもそうですが死の神が生き物の運命(死)を司どり決定してるのです。ギリシャ神話や北欧神話では死の神が実は「他の神の死」も左右していたりするんですよねえ。場合によっては最高神ですらその決定に従わなければならなかったりします。大国主もそういう神様なんです。現世(うつしよ)を天照大御神が統治し、大国主はあの世(幽世=かくりよ)死を司る神になりました。そして日本的なところはそれでも「死=運命」を「神様皆で」決めるところ。・・・というかこれは大国主の動向を皆で監視するためなのかもしれません。なにせ大国主は古事記では須佐之男命の6世の孫(日本書紀では息子)・・・実はタタリ神なのです。
・・・とまあ、自分の勝手な解釈なわけですが(笑)大国主命はなんだか特殊な神様なんじゃないのかしらん?とは昔から思っていました。そんな神様にちなむ月・・・災い転じて福となる・・・はず!!
10月の別名「神無月」各地の神が出雲大社に出向くため「神がいなくなる月」だから「神無月」となったと昔 教わりました。が、「大語源」によるとむしろ「神な月」(神の月)から「神無月」になったという全く逆の説。これは6月を「水な月」(水の月)=「水無月」というのと同じ。出雲地方では神が集まってくるから「神在月」と言うのですがこれも本当は俗信なのだそうです。
10月は収穫祭や田の神が山の神に戻ったりと確かに神様がお忙しい月。出雲に出向いていられませんね。ちなみになんで神様が出雲大社に出向くかと言えば祀られている大国主との会議が目的。神様 皆んなで相談し今後の運命や人の生き死にを決定するんだそうです。でも昔はなんで出雲なの?日本の最高神、天照大御神の伊勢神宮じゃないの?と思ってました。が、日本の神は一神教と違い、役割がはっきり別れます。これはギリシャ神話とかでもそうですが死の神が生き物の運命(死)を司どり決定してるのです。ギリシャ神話や北欧神話では死の神が実は「他の神の死」も左右していたりするんですよねえ。場合によっては最高神ですらその決定に従わなければならなかったりします。大国主もそういう神様なんです。現世(うつしよ)を天照大御神が統治し、大国主はあの世(幽世=かくりよ)死を司る神になりました。そして日本的なところはそれでも「死=運命」を「神様皆で」決めるところ。・・・というかこれは大国主の動向を皆で監視するためなのかもしれません。なにせ大国主は古事記では須佐之男命の6世の孫(日本書紀では息子)・・・実はタタリ神なのです。
・・・とまあ、自分の勝手な解釈なわけですが(笑)大国主命はなんだか特殊な神様なんじゃないのかしらん?とは昔から思っていました。そんな神様にちなむ月・・・災い転じて福となる・・・はず!!