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3度目の尿管結石かなあ……?(3度目?)

鈍い腰痛が続いているんですよねえ。。。3度目の尿管結石かしら。。。これからまた病院にお泊りなので検査してもらえるでしょう。

以前も書いたように自分は尿管結石になってもほとんど痛まない体質なので、腎臓関係の健康診断で発見されることになります。最初の時は体調悪化により病院で検査を受けたら尿管を両方とも巨大な結石が塞いでおり、とにかくどちらか一方の結石を破砕することになりました。

2度目は腎臓結石が見つかり「ま、いっかあ」とほっといたら、別の病気の検診の際に腎臓が腫れていて尿管に石が詰まっている事がわかりました。

でもよく考えるとほんとの一番最初はある日の「おち〇ちんの痛み」でした。これを含めて今回は3度目になります(尿管結石だとしたらですが)

当時おしっこをする度におち〇ちんの奥の方になんだか鈍い痛みを感じるようになりました。するとだんだん排尿する度にヒリヒリする痛みに変わり「何か変な病気になったのか???」

しかし当時そんな経験は遠い記憶の話。相手の事も考えるとおかしな病気になるはずもない。するとある日のおしっこ中、あまりに痛いのでおち〇ちんを見てみると先っちょになにやら黒いものが。「なんだこれ???」と思い触ってみると何やら固い。痛いのを我慢して引っ張ってみると抜けまして、それは石でした。。太さは鉛筆の芯くらいですが途中ちょっと太くなっており、長さは8㎜~1㎝くらいありましたかねえ。ごつごつした黒い物体。

これが多分一番最初の尿管結石だったのだと思います。

しかし尿管は無痛で通り抜け(詰まらないで)膀胱に入って鈍い痛み、それから上手く(?)尿道に入り出てきたのですが、尿道を通る時がヒリヒリする痛みだったのです。

おしっこする度にあまりにも痛いので近くの総合病院の泌尿器科に診てもらっていました。「尿の濃度が濃くなっている」「尿に血液が混じってる」と言われ原因を調査中の事でした。

結局、石がおしっこする度に動かされて尿道や膀胱を傷つけて出血していたんですが…なんで尿管では痛まないのだろう、多分同じように傷つけてるだろうに。

最近、某動画を観ていたら「尿管結石の痛みは三大痛の一つ」と言われていました。あとの二つの痛みが何なのかはわかりませんが、そんな痛みを感じない体質に生まれた自分は幸福なのでしょうか。。。でも痛みを感じないので、体調が悪化してからわかる事になります。自分が診てもらった専門病院のお医者さんの話によると痛みを感じない人は2割くらいいるとか。そう考えるとあまり珍しい体質ではないのかもしれませんねえ。。。

でも「尿道」結石の痛みはわかりました。おしっこする度にヒリヒリする火傷のような痛みです(苦笑)

PS 
総合病院に行ったとき「おしっこする度ににおち〇ちんが痛い」と症状を言ったら、看護婦さんに廊下の端に連れていかれ小声で「…あのう、最近…そのう、…遊びましたか?」と聞かれたの思い出します。思えば泌尿器科の待合の椅子には誰も座っておらず「すいてるなあ」と思っていたら、泌尿器科の患者さんは全員、隣の形成外科の待合の椅子に座っている事がわかりました。やっぱ泌尿器科にかかるのって当時はちょっと恥ずかしかったんですかねえ。そこに一人で座っていた自分もたいがいですねえ…(苦笑)後半はおしっこするのにおち〇ちんを持つだけで痛かった。あの時はちょうど「棒」の中に石があったんでしょうねえ。。。

自分が再びアニメを観るようになった事

ある先生の勧めにより原作を読んだのは一昔前のことです。

そして自分を再びアニメを観るようにしてくれたのが「涼宮ハルヒの憂鬱」でした。原作にもかなり忠実で、放映順序を除けば違和感を感じるような所はほとんどないと感じました。

当時「京都アニメーション」の作品は演出が原作に忠実というのが評判で、だからこそ逆に個性がないみたいな感想があったとも記憶しています。「涼宮ハルヒ」はキャラCDも全部持っていますし、フィギュアも未だに大事に箱の中。でも東日本大震災の時に、一部が破損してしまったのが残念でなりませんでした。

以前にも書きましたがNHK「少年SFシリーズ」や眉村卓作品を思い起こさせる「涼宮ハルヒ」を自分は今後もずっと視聴していくことでしょう。今でも続編を期待しています。また最近は「響け!ユーフォニアム」シリーズを全作観たいと思っています。

自分は本当に一ファンです。残念でならず、犠牲となられたクリエイターの方々に心からの哀悼の意を捧げます。

ちょっと病気が長引いていまして。

ちょっと病気が長引いていまして…現在、同人作業に入れません。(今更お待ちしている方もいらっしゃらないでしょうが)

起床したら少々遠出もありましてなかなかネットも見れなくなってしまいます、なにせ未だにガラケーですのでー(苦笑)

自分はホラーが好きで中でも(ホラー作家時代の)貴志雄介のファンでした。
その中に「クリムゾンの迷宮」という作品があります。単行本としては「黒い家」「ISORA」「天使の囀り」の次の作品だったと思います。以下は「クリムゾンの迷宮」の出だしです、ちょっとうろ覚えですが。

 ----ネタバレあり----

いつの間にか無理やり、見知らぬ赤い大地に連れてこられた主人公といわくありげなその他9人。手中にはわずかな食糧と水。そして携帯ゲーム機。

そのゲーム機に「これから君たちにはゲームをやってもらう。それは生き残るゲームだ」と宣言されます。なんだか「ソウ」シリーズみたいな始り方。そしてヒントを与えられます。「東にはサバイバルグッズ、南には食料、西には武器、北には情報がある。どこへ行くにも自由だ」

9人は4つのグループに分かれ「ゼロ・サムゲーム(生き残りゲーム)」を始めることになりました。確か主人公は「サバイバルキット」(東)と「武器」(西)どちらに行こうか迷います。しかし彼と同行することになった底辺エロ漫画家の女性が「北(情報)に行こう」と言うのです。「こういうのは情報が一番大切なのよ」主人公は彼女と共に北の「情報」を取りに行く事になりました。

物語は当然「サバイバルキット」より「食料」よりも、さらには「武器」よりも 主人公たちが選んだ「情報」が正解でした。こういう場合最も重要なのは「情報」でした。普仏戦争では偉大なドイツの参謀長モルトケが鉄道と電信という情報を活用して勝利しているように、また旧軍が情報を軽んじて負けたとも言われるように「情報」は本当に大切なのでしょうねえ。

その情報ツールが自分は未だに「ガラケー」(苦笑)

まあ、パソコンはあるのですけれど…そろそろ寿命が…。

PS
文中でも書きましたが「クリムゾンの迷宮」は「ソウ・シリーズ」に似ています。特にソウ2以降はたくさんの人がゼロサムゲームに参加するホラーになってますし。が、「ソウ」は確か2004年公開。貴志雄介「クリムゾンの迷宮」は1994年出版ですからもしかすると貴志雄介の方がコンセプトは先だったのかもしれません。こういうのを「ソリッド・ホラー」とジャンル分けするようですが「ソリッド」の意味がイマイチわかりません。「ソリッド」とは「個体の形状、中身が詰まった状態、堅実」らしいのですが…なんかなあ。。。英語は弱いので他の意味もあるのかな?それとも語呂がいいからつけたのかしらん?

PS2
久しぶりに本屋に行ったら普通の角川文庫本として「涼宮ハルヒ」のシリーズが置いてあってびっくりしました。表紙もいたって普通の角川文庫の地味目な感じ。パラパラめくったところ挿絵もないよう。一般小説としても行けるとみたんですねえ。かつての眉村卓作品の角川文庫移行をなんとなく感じました。ちなみにその本屋ではこの夏の推しとして貴志雄介「天使の囀り」が目立つところにありました。初版はもう20年以上前だと思いますが、名作は息が長いですねえ。

令和が始まってはや一月。(長いので読まないほうがよろしいと思います)

令和が始まってはや一月、今年も半分が過ぎ去ろうしています。
そしてふと思う事。何故かピカソという画家を思い出しました。普通パブロ・ルイス・ピカソと書かれますが、本名(洗礼名)はもっと長くてとても覚えられないくらい。後にパブロ・ピカソと呼称。

ピカソと言えばその画風は「キュビズム」とされますが実は何度も画風を変えているのです。最初は写実主義。まさに写実的な画風でピカソの初期のデッサンは「写真の如く」と言われた程。

ピカソ誕生の頃にはすでに写真技術がありました。その写真に対抗しようとしたのが「印象派」とも言われます。

日本で西洋画と言えばまず上がるのが「印象派」です。「印象派」とはそれまでの風景画と違い、自然の光を普通に「目で見えたまま」に表現したものです。「そんなの当たり前じゃん」と思うかもしれませんが、写実主義にはない「光の移ろい」をも描き出したのです。消え入るような「一瞬の光の風景」。そんな感じが「印象派」ですね。そんな「印象派」なんですが、後にモネ(印象派の代表的な画家)が写真を参考にして描いていた事を告白しています。確かモネだったと思います。「一瞬の光」を留めるのも写真の方が上だったんですねえ、やっぱし(涙)

でも当時の「印象派」は今でいえば「パンク」みたいなもの。

写実主義やロマン主義、新古典主義など、人物や主に神話や伝説を主題にして写実的に描く絵画が全盛のフランス美術界ではまさに異端児。その上、美術界の重鎮からは「猥褻美術」という名で呼ばれたりして…。でもなぜ「印象派」が「猥褻(わいせつ)」なのか、、、まあ…後々書ければいいなあ、と。。。

しかし今やその「印象派」が美術界のアカデミズム的存在になっているのですからねえ。30年前、アニメやオタクと言えば「危ない趣味」と見られていたのに、現在はアニメ・オタク文化が「クール・ジャパン」の中心、みたいなものです。

ピカソはその時代に流行った流派の絵を描いていきました。写実主義を皮切りに後期印象派、アール・ヌーボー、表現主義、シュルレアリスムと流行りの絵を描き、常に「売れていた」状態だったようです。ゴッホが生前には全然売れず、弟のテオが買い取ってくれるだけだったのとはまさに対照的。そんなゴッホにくらべてピカソは常に生活できるくらい「売れっ子」だった様です。しかしピカソの心には自分の思う絵を描きたいという思いが常にありました。

1907年に描いた「アビニヨンの娘たち」

当時アビニヨンには売春宿があり、その娼婦5人の裸を描いたものですが、これが歴史上初めてのキュビズム作品と言われます。キュビズムとは自然をより単純な形としてとらえて描く形態で、セザンヌの「自然は球、円柱、円錐で出来ている」という言葉にインスピレーションをうけたものとされる。それにアフリカの単純な木像などプリミティブ(原始的)な造形に。

セザンヌは「現代芸術の父」とも呼ばれゴッホよりちょっと前の人。画風は後期印象派に入ると思います。でもゴッホは自殺(説)なのでセザンヌの方が長生きです。セザンヌも生きている間はゴッホと同様、ほとんど美術界からは顧みられず、父の遺産が入るまでは苦しい生活を送ったようです。しかもパース(遠近法)を無視したような絵や前述の「球、円柱、円錐」を思わせるような絵を描きながら有名な美術展「サロン・ドートンヌ」など、「サロン」に応募しては落選するという事を繰り返していました。

セザンヌの画風は写実主義、ロマン主義(主に神話や伝説を写実的に描く)全盛の展覧会に「それはないだろ」的な作品ですからねえ。まあ、落ちてしまいます。。。ちなみに印象派の画家たちもこの「サロン・ドートンヌ」に応募して落選した組。その落選した者たちが開いたのが第一回「印象派」展。彼らも最初は時代にハブられた者たちだったんです。なにせ「猥褻」ですからねえ。ですが、こっちは後々生きてる間に日の目を見る人が出てきますけど。。。「クール・ジャパン」(笑)

そんな生前を極貧で過ごす現代芸術の先駆者の中では、ピカソは出発から「売れていた画家」でした。と言っても最初はやはり苦しかったようですが、子供の頃からその画力は評価されていて幾つもの賞を受けていました。そんな彼が突然「キュビズム」という今までにない画を描いたのです。そしてそれをパトロンの評論家である画商(名前を忘れましたが有名な人)に見せます。「これからこういう絵を描いていきたい」

その時、ピカソは自信満々だったようです。しかしながら画商は眉をひそめました。「こんな絵を描くのはやめなさい」ピカソはショックだったでしょうねえ、きっと。彼(画商)ならこの絵の価値を認めてくれると思って見せたはずですから。なぜならその画商は当時、前衛画家を沢山支援してたので。

セザンヌやゴッホであったら画商からそう言われても自分の画風を貫いたことでしょう。しかしピカソはこの画商の言葉を受けて表向きはあっさりキュビズムをあきらめて、画商が言う「売れる絵」を描いていきました。しかし裏ではジョルジュ・ブラックなどと親交しキュビズムの研究を進めています。時々美術史なんかでピカソの1910年~12年時代を「分析的キュビズム」時代とか言われますが、それは言わば裏の歴史でしょうね、たぶん。時々キュビズムを展覧会に出品してますが表では表現主義の絵(流行りの絵)を描いていましたから。

ちなみにこの「キュビズム」という名もジョルジュ・ブラックの絵に多数登場する立体(キューブ)から来ているんです。だからやっぱ、この時代のキュビズムの第一人者はジョルジュ・ブラックでしょうねえ。そんなキュビズムが日の目を見る日がきます。

1936年ピカソ作「ゲルニカ」

祖国スペインの内戦。その時フランコ軍に協力したナチス・ドイツ軍は新兵器の実験場としてスペイン内戦を利用しました。急降下爆撃機Ju 87 スツーカの実戦もこの時だそうで。この内戦でナチスによる無差別爆撃を受けたゲルニカ村の惨状を万国博覧会の壁画として描くことになったピカソは当時の最先端シュールレアリスム風の画風にあわせ総合的キュビズムの絵を描きました。世界はこの時、初めて「キュビズム」という絵画の流派を認識したと言います。孫子に言う「天の時」がこの時だったのでしょう。1907年に描いた「アビニョンの娘たち」から正に30年。やっと「キュビズム」が世界に認められた時でした……。

一面をみるとピカソは常に時代の波に乗っかっていた「流行作家」な様にも見えます。(キュビズムが認められてからはキュビズム一辺倒ですが)対してセザンヌやゴッホは極貧に瀕しても自分の画風を追い求めた様にも見えます。でもセザンヌもゴッホも自分が時代から外れているとは思っていなかったと思います。結局死後に認められるのですが、それが本当に幸せだったのでしょうかねえ。。。

対するピカソは生前に大成功しました。ピカソは確か妻を含めて愛人が6人(5人だっけ?ちょっと忘れてしまいました)いたそうですが、ピカソの死後、その愛人からなんの訴えも起こらなかったそうです。何故なら遺産が莫大で愛人全員で分けても充分過ぎるほど。なので文句が出なかったそうなのです。すげーなあ…。。。


…と、なんでこんな事を急に思い出したか判らないのですが最近、近親者が他界しました。だからかもしれません。もうかなり前、学芸員資格(資格って言うのかな??)を取る時に読んだ中原祐介の本&朝日百科「世界の美術」から、うろ覚えで書きました。間違いがあったら本当にすみません…。

追伸
第一次世界大戦の時、兵器に塗られた迷彩塗装を見たピカソは「あれこそが私たちが考え出したものだ」というような事を言ったそうです。「自然を単純な形態で表現する」これがモダニズムの出発点でもあったからでしょうねえ。。。

追伸2
ピカソのデッサン集というのがあります。いや、クロッキー(早描きデッサン)集ですね。これがまた女性のアソコの絵ばっかり。キュビズム作品でも何故か性器だけははっきりわかるものなんかもあります。シュールレアリスムの影響ですかねえ(笑)
ピカソのクロッキー集は大きい図書館なら多分置いていると思います。

最後に…「ピカソより~、ゴッホより~、普通にィ~、〇ッセンが好~き~‼ハイ!!!」ではありません(笑)確かにピカソも好みじゃないけれど。古っ!!

令和になりました。

令和になりました。
新しい時代が個人的にも(もちろん全体的にも)良い時代でありますよう、願っています。

病院にいる間「24」を今更ながら全シーズン観ました。
通してみると時代の変化がなんとなくわかります。一番はやっぱり主人公ジャックの通信手段ですね。
とりもなおさずコンピューターの進化ってことになりますか。

この「24」も去り行く平成時代を語ったものになるのでしょうね、きっと。日本の話じゃないけれど(笑)

10連休ですが病院はさほど変わらない体制。当たり前と言えばそうですが大変なお仕事だと思います。
自分がまだ高校生の頃、ひどい体制の病院を経験していますので現代の体制はすばらしく感じます。
最近は金銭的な面で逼迫している病院も少なくないとか。各論あるのは承知ですが病院にご厄介になっている身分としては複雑な思いです。患者も医療費が負担ですものね…。(個人的には特に)
♪パンツ占い♪
今日のパンツ占いだよ!
thanks font:S2G
プロフィール

ふじさきまこと

Author:ふじさきまこと
エロ漫画家 藤咲 真です。


単行本は過去12冊
(単行本化されていない作品集めると2〜3冊分ありますけど・・・)


お仕事依頼はツイッター 藤咲真 18禁 へどうぞよろしくお願いいたします。

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